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コテンと眠るための読書・・・短編は不向き! やはりコテン(古典)の長編がいい!?

たまには、このようなことがあります。
現在進行形で読んでいる本の書評やエッセイに出会う・・・・・けっこう嬉しい瞬間です。
ネタバレになるかも知れないとおもいつつもツイツイ読んでしまいます。
阿刀田高の『ミステリーのおきて102条』いきなり「001:小説の上手投げ」は、漱石の『こころ』です。
これが現在進行形の当たりでした。
なんでいまさら『こころ』かっていうと、
以前の記事「坊っちゃん』のストラクチャーをこねていたのですが、そのつづきで『三四郎』、『こころ』と続いて読んでいるのです。

漱石の小説の主人公が「青年」という共通点でつながっています。
実は、『三四郎』『こころ』の継投読みはお勧めできません【うん、ほんまやで】
いまだに、『こころ』の主人公と三四郎がぐちゃぐちゃになっています。
『坊っちゃん』のフォローどころではなくて、アゲンストに陥っています。
それでも読み続ける理由はひとつ。
「コテンと眠る」ためです。【ダジャレか!】
短編小説では眠りが浅い【シランケド】
眠りにつくために短編小説を選ぶと、
1 「コテンと眠る」前に読み終わってしまう。
2 途中で止めてどう展開していくのか、想像しながら・・眠りに落ちる・・・
短編小説の場合は、ミッドポイントか最後のプロットポイントで止めて、
次の展開・・短編はすぐクライマックスへ入っていくことになるので、眠れません。眠っても浅き夢みし・・【うん、ほんまやで】

長編小説の場合は、途中で止めてどう展開していくのか、想像しながら・・・眠りに落ちる・・・これがうまく機能して「コテンと眠る」ことができます。

ただし、例外もあります。長めのテーマの重い短編小説は、途中で、ミッドポイントまでも行き着けず「コテンと眠」れます。


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