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癌に勝つ

人生は何があるかわからない。
誰もが分かっていることだと思う。
なのになぜ、癌になると、
「まさか私が」
というのだろうか?覚悟、足りなくない?
人生は何があるか分からないのだ。
宝くじで5億円当たることもあるかもしれないし、癌になるかもしれないし、戦争に行かなくてはいけなるかもしれない。
そこそこいいこともそこそこ悪いこともあって、そこそこ長生きしてそこそこ幸せに死にますよ、なんていう保証はない。
え、ないですよね?ありましたっけ?

「まさか私が」と言う人はそれまでの人生に、「絶対にそうなってほしくないと願ったことが現実になった」ことはなかったんだろうか?私は山ほどあった。大人になった今からすればそんな深刻なことではなかったにせよ、悲しい、絶望的な現実はあった。だから、3年前に癌を発症した時は、まぁそういうこともあるだろうなと思った程度だ。

さて、癌になってよく聞いた言葉が
「気持ちをしっかり持って、負けちゃダメよ」
だ。
まず、私は病気と勝負する気はなかったし、これからもするつもりはない。もちろん、死にたいという意味ではない。治したい。そう、治したいのであって勝負なんてするつもりはないのだ。どうして勝負になるのか?

癌も、癌になることも私の人生の一部だ。私という人間の一部だ。癌がいいことだとは言わない(ただ、何事にもいい面も悪い面もあるとは思う)が、そこまで悪として忌み嫌うところに違和感を感じるのだ。もっと淡々としていればよくない?勝負するのしんどくない?癌ってだけでしんどいよ?お医者様と流れに身を任せて、痛みに耐える、結局それしかできない。それでいい。


私の癌は、今は寛解しているけれど、おそらくあと2年くらいしたら再発するのだろう。次は死ぬかもしれない。それでも、それも人生。それが私の人生。そう思えるから、私は癌にもう勝っている。

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