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生活にひそむ〝めんどくさい〟の正体を暴く


「お~めんどくさい…」


一体、今日だけで私はこの言葉をどれくらい口にしたのだろう。カウントしてみたらどうなるかなとか、想像しただけでちょっと恐ろしい。

たとえば、空になった洗剤の詰め替え、ごちゃごちゃ雑貨が置いてあるカーペットのコロコロ、トイレットペーパーの補充…さっきも掃除機をかけている時、洗濯機と壁のあいだの細い隙間にホコリがいるのが見えた気がしたが、数秒、見つめあって通り過ぎてきた。

よく考えたら、どれもこれも、なんてことないものばかり。その場で済ませてしまえば(やらなければ…)という感情に付き纏われないし、後々忘れてた~!!なんて、焦ることもない。にも関わらず、まだいいかと性懲りもなく先延ばす。しかも例外はない。

そんなんだから、存在感はあまりなくとも頭の隅のほうで時折、いやな感覚をおぼえる。なんだっけ、なんか忘れてるんだよな、と。


どうしてなんだろう。解決したい。


さっきから手にもっていたモップをいったん横に置き、幾度となく脳内に疑問の矢印を走らせてみるが、行き止まる。うーん…めんどくさいは、めんどくさいでしかないよな…と、思考放棄したくなるのをぐっとこらえて考える。何が〝めんどくさい〟んだ?考えろ、これはもしかすると、人間が今までたどり着くことの出来なかった、世紀の大発見になる可能性もあるぞ!そう言い聞かせて、いま考えなくてもいいことを考え、唸りつづけて数十分。とうとう一つの答えを見つけだす。


「これってもしかして、ゲームのボス戦とかで倒した!!と思ったら、敵が第二形態に進化して絶望…ってのと、同じじゃあないか…??!」


そう、私が普段めんどくさいと先延ばしにしているあれこれの正体はなんと、毎日している家事の進化した姿、最終形態だった。ようやく倒したと思ったら、まだ生きてるよ~と何事もなかったかのように現れるから〝めんどくさい〟のだ。

私の一番の強敵である〝洗剤詰め替え〟で考えると、本来、皿洗いと戦うタイミングで倒せるはず。だが、あくまでその時点での標的は皿洗いだけだし、私もシンクに立って洗剤をスポンジにつけ足すまでは、洗剤容器の中身が無くなりかけていることには気づけない。食事を終えて食器を下げ、コンロ回りも磨き、さあ、あとは皿洗い、お前で終わりだ!と、洗剤を手にとりボトルを押したその瞬間、

「カシュッ」

思わずもれる「えっ」という声。これでようやく終わる、そう思ってたのに。「そんな…あんまりだ…皿洗い、お前がまさか洗剤詰め替えという、切り札とも言える第二形態を隠し持ってただなんて…」という、絶望感にも等しい気持ち。もう無理、めんどくさい。ゲームオーバーだ。

「ま、まだ中身は若干残ってるし、明日やろ」

明日には、その第二形態のこと忘れてるよ。
奴らはいつも忘れた頃にやってくる、しかもまとめてやってくる。だから、めんどくさい。


まさに、塵も積もればなんとやら。
え、肝心の解決方法ですか?


〝気づいたその時に倒す〟ですかね、解散。

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