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日記 洟をたらした私

二月一日
概ね晴れ

 晴れてはいたが、まばらに雲があり、つねに陽射しがふりそそぐ日和というわけではなかった。風はまだつめたく、縁側ですごすには少々さぶかった。

 きのう、ブログのほうに「里山生活は戦いだ」と書いた。手の平をかえすようだが、冬は草も伸びず、いわば休戦期間なので、平和を謳歌することも多くなる。
 雪がつもった日などは、これさいわいと部屋で火を焚き、あるいは縁側で陽にあたりながら、物を読んだり書いたりする。昨晩の雪が解けのこったきょうは、まさにそういう日であった。

 わが『つち式』の読者の方が言及されていた『洟をたらした神』(吉野せい)という本を読みはじめた。あまりの素晴らしさに、わたしは思わずツイートした。

 本書は東北地方の開墾者である著者が、齢70を過ぎてから書いたものだ。また、その初版とつち式との間には43年の隔たりがある。執筆年齢も時代も異なるにもかかわらず、土に俯す者同士、見ているものの大きく重なっていることがうれしかった。
 貧困のうちに、子供、犬、にわとり、あひる、野菜とともに生きた著者の、よろこびとかなしみが生々しく綴られてある。これは、日常的に土に触れていないと書けないものだ。
 全部読み終わればあらためて記事にしたいと思う。ここでは、まちどおしい春の情景を「春」の中から引用するにとどめる。

 秋の頃からぬくぬくと土の中に眠りこけていた蛙めらが、がちりとうないこんでひっくり返した鍬の下から、まっぷくれにふくれた白い腹を春のひざしにさらけ出されてびっくりしてとび起きます。まちがって鍬先でその腹を真二つに切り裂くこともあります。知らずにやったこととはいえ、その残忍さに目を閉じて急いで土深く埋めてしまいます。空の色が次第に水色にとけて来ます。私は藪の間につづく唯歩くための一尺幅位の小径を、万能をかついで冬の間に墾した耕地に出て行きます。

 それにしても、せっかく雪がつもったというのに雪合戦の相手がいないのは残念なことだ。ニックでは相手にならない。雪玉を投げつけても嫌がるだけだ。ここ大宇陀での暮らしにわたしは大いに満足しているものの、同世代の友人が近くにいないのは、こういう時おもしろくない。
 そういえば、『洟をたらした神』の中に、同名のエッセイが収録されている。「洟をたらした神」というのは、著者の息子ノボルのことだ。一般に洟たらしとは少年をあざけった表現であるが、ときにそうした年端もいかない者が神がかりをすることがある。いや、洟たれだからこその所業というべきだろう。
 わたしはもうすぐ28になるが、ご覧のとおりいまだ洟をたらしたままだ。オトナになるということを知らない。それで神業を為せればよいのだが、わたしに神が宿る気配はない。つまり、ただの洟たれである。しかし、オトナになってはいよいよ神がかることもないだろうから、これからも洟をたらしつづけようと思う。

#日記 #随想 #つち式 #農耕 #エッセイ

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