そしてあらゆるすべて
私はなにものでもない
だからなんにでもなれる
なにものでもない=無力というわけでもない
何者でもないということは、何にでもなれるということだ。すなわち全ての源の状態である。
信じるものがすべて、目に見えるものが真実とは限らない。
今私の目に映るのは脳を介した集合体でしかない。見る人によって認識も変わるのだ。それは物事も同じだ。
そしてまた、なにものならないでおくことも選べるのだ。なにものでもないということで存在意義がなくなるわけではない。
生きることに成果を求めなくてもいいのだ。
一日過ごして、何かを感じ、それが心動かすならそれこそが生きている意味と言えるだろう。宇宙からみれば私たちはただの点だとしても、それはあらゆるすべてをを内包している種のようなものだ。種のまま暖かい土の中で過ごすのも悪くない。
その種は土に眠っている時も、大空へ飛び出すことも、花を咲かすこともある。でもいつかは枯れ、命は尽きる。ただそれだけだ。
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