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1,600枚の色紙ー商業書道家になるまで②

商業書道家の小笠原麗と申します。

こう自己紹介できるようになるまでのこと。
書はライフワークだと思えるようになるまでの、約15年間のこと。​

ことば選び

一浪してなんとか入学できた書道科。
周りは当然、”書ける”人ばかり。みんなそれぞれ得意な書風があって、研究したいテーマがあって、書道が大好きな人たち。

授業やゼミとは別に、年2〜3回の展覧会を中心に1年が回っていた。
思い出といえば、展覧会にまつわるあれこれがほとんど。

大学時代作品

『月 営を照らす』(2009年冬)
『生きる(夏目漱石の言葉より)』(2010年夏)
『農民芸術の綜合(宮沢賢治の詩より)』(2012年冬)
『感謝(自作詩)』(2012年冬・卒業展)



1・2年では、「漢字仮名交じり書」を書きたい気持ちをぐっとガマンして、漢字の臨書・創作を中心に。
3年の夏以降、卒業制作展まで全て「漢字仮名交じり書」の作品を出品。
もう恥ずかしくてとても載せられないものもあるけれど、書いた言葉自体は惚れ込んだものしかない。

毎回、言葉(題材)選びは楽しかった。

中には「自分が得意で表現しやすい漢字が入っているから」という理由で題材(漢詩)を選ぶ先輩や同級生もいて。
川や山や月は今日も綺麗だ酒が美味い、みたいなことしか言ってない漢詩をどうしたらあんなカッコよく書けるのか・・・凄い・・・と尊敬していた。

わたしはどうしても言葉の内容や意味を重視したかったし、その言葉が好きじゃないと書き込むことができないタイプ。
ある時は、「明日」が7回登場する『明日歌』という漢詩を選んで書き分けに大苦戦、なんてこともあった。

考え方は様々あるものの、「漢字仮名交じり書」の作品は、基本”読める”ことが漢字や仮名との大きな違い。だから、慎重にもなった。
そして、高校時代、友人たちがわたしの作品を喜んでくれた思い出も影響して、書の作品を観て欲しいというよりも、この素敵な言葉や詩を読んで欲しい!という想いが強かった。


小さい世界

仲間たちと身体中墨だらけになって書いた日々はかけがえのない思い出。

でも、あえて言う。

作品のサイズは大きかったけど、ものすごく小さい世界で生きていた。

今回はうまくいったいかなかった、納得して出品できたできなかった、教授の評価が高かった低かった・・・とにかく目の前の制作に必死。

好きなことに夢中で取り組めたことは間違いないし、教授、仲間、母校には感謝しかない。

でも、大学の活動だけでは決して商業書道家には辿り着けなかったと思う。


1,600枚の色紙


転機、大学3年。

知り合いに紹介してもらった百貨店でのアルバイト。
紳士服フロアで”父の日ギフト”を購入した人向けのサービスで、お父さんへのメッセージを色紙に筆で書くというもの。

最初の年(2010年)は、1日100枚限定×4日間。
その企画自体も初めて行われるもので、もちろんわたしも全く経験がなかったから、百貨店のスタッフさんたちと手探り状態。

最初は、お客さんがくると、サービス内容を説明してその場で1から考えてもらったメッセージを書く、というスタイルだった。

しかし、このやり方は早い段階で限界が。

▶︎ すぐにスラスラとメッセージが出てくる人がほとんどいない
▶︎ じっくり考え始めると時間がかかり、その間に人が溜まる

別にお父さんになんのメッセージもないわ〜ってことじゃなくて、むしろ、ちゃんと考えようって人の方が多くて、みんな悩んじゃう。

あと、最初はタテ書き・ヨコ書きどうしますか?ってとこまで聞いていたけれど、やっぱりこれも即答できる人はほとんどいなくて。
逆に「どっちが良いと思いますか?」って聞き返されて、また時間がかかる・・・

そうやってひとつひとつ聞きながら一緒に作り上げていくのも、楽しい。
でも今回のイベントの重点はそこじゃないと思ったし、長い時間待たせてしまうのをまずどうにかせねば!
時間かかるならいいです〜と断られるのめちゃくちゃもったいない!(当初1日100枚なんていけるのか・・・?と不安だった)


そこで、スタッフさんと相談し、見本を作ろう!ということに。

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(※2014年、2015年の様子)


見本の効果は絶大!

▶︎お客さんの悩む時間を減らすことができた
▶︎ 何もない時よりお客さんとコミュニケーションが取りやすくなった
 ・・・「この見本と同じで〜」とか「この”お父さん”の部分を、”パパ”に変えて欲しいです!」など、お客さんの方から言ってくれる
▶︎ 見本をそのまま持ち帰りOKにして、時間がないお客さんも逃さない

流れがスムーズになり、最初の不安はどこへやらであっという間の4日間400枚。
書き終えた達成感と幸福感は、それまでに感じたことのないものだった。

ありがたいことに、翌年そして大学卒業後も声をかけてくださって、企画が終了するまでの6年間(2010〜2015年)で合計1,600枚以上の色紙を書かせていただいた。

父の日2015


毎年、大変は大変だったけれど、本当に楽しかった。ほんっとに。

▶︎ 書く姿を見られながら即興で書く
▶︎ 目の前にいる人だけじゃなく、その先にいる人のことも想って書く

"小さい世界"から一歩出たことによって見つけた、宝物のような経験。

どこまで出来るかわからないアルバイトの学生を信じて、6年間もご一緒してくださった新潟伊勢丹・紳士フロアのスタッフのみなさまには、感謝の気持ちでいっぱいです。


役に立てる技術 

書道を趣味で終わらせたくないと思ったのは、この経験があったからこそ。

これまで、楽しくて好きだから書道を続けてきたけれど、
実はこれって、役に立てる技術なのかもしれない。

高校時代に「漢字仮名交じり書」と出会って、恩師に褒めちぎられて調子に乗って、どんどん書道に夢中になっていったあの時のように、また新しい世界へ行けるかもしれない。

学生時代にこの気づきを得たことは大きい。
就職活動中も、常に頭の片隅にこの思いがあったし、以前から持っていた”ものづくりに関わりたい!”という希望を、さらに強めることになった。

結果、印刷会社に入社。
営業職としての採用だったものの、クリエイティブな活動を応援してくれる社風だったこともあり、個人で細々と活動を続けていた。

でも、あるひとことによって、書との付き合い方に悩むことになる。

(つづく)



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