無闇に欲しがりすぎないという戒め(推し活日記)
久しぶりの記事。今日は「推し活」について自分で反省することがあったので、今後の推し活の戒めということでまとめてみる。
ただし当然ながら、私個人の場合は、という話なので、「推し活」に正解も間違いもないということは前提として置いておく。
さて、本題。推しのことが好きになればなるほど、「欲」が出てくる。
具体的に言うと、もっと配信が見たいなとか、もっと推しのグッズ(商品)が欲しいなとか、もっとスパチャしたいなとかである。
しかし現実には、時間にも使える資金にも限りがあるわけで。
「推し活」というのは、相手があって成り立っているので、油断すると「推しへのアクションは自分のためである」ということ忘れてしまうことがある。もっと「推しのために」何かできないかと思ってしまうのだ。
「推しのために」と思うそれは純粋な気持ちではある(はず)。しかし、理由の軸を「推し」に置いてしまうと、つい「他人のためにすることは良いことである」という気分になってしまうような気がする。「良いこと」だと思うと、ついストッパーがゆるくなる。
そうすると何が起こるかというと、自分の限界ラインをだんだん越えて、無理をするようになる。そして無理しない選択を取った場合に、ネガティブな感情が出てくる。「もっと〇〇したいのに、できない」という感情である。楽しそうにグッズをそろえたり、推しによくリプライしている人を見ると、どうしても比べちゃったりして。
もちろん、これはよろしくない。こういうメンタルでいると、「癒し」「活力」のはずの「推し活」が、自分への負担になり、ついネガティブなことを言っちゃったりして、結局推しのためにならないと思うのである。
推しはリスナーが楽しめるための舞台(コンテンツ)を作ってくれている。なら、リスナーとしてはその舞台をまっすぐ楽しんで、できるだけ推しが楽しく気持ちよく活動を続けてくれるよう、ポジティブな気持ちで推すのが理想……だと私は思っている。
もちろん、ネガティブな気持ちを完全に消すことはできないけれど、推しの目に触れるところにはできるだけ晒さないのがマナーという感じ。(この記事はどうなんだ、という点については矛盾すみませんとしか言えないかもしれない……申し訳ないです)
じゃあ、消せないネガティブな気持ちをどうするか。
まずは現状と折り合いをつける。たとえば時間的な問題であれば、仕事が一つ終わったらご褒美としてアーカイブを一つ消化するとか、この日だけは絶対リアタイするとか、自分で決まりを作る。
金銭面であれば、期間限定ボイスだけは絶対買うとか、お給料日にまとめて買えるように予算を決めて購入計画を立てるとか、そういう感じである。
それから、理想としては、「推し活をするために現状を変える努力をする」。たとえば、お給料を増やすために仕事を頑張るとか、配信リアタイするために定時で帰るとか、自分が知らない推しの好きなことについて勉強してみるとか、である。努力で「ぐぎぎ」と苦しむことはあるけれども、それは「自分のため」という要素が強いから、推し活へのネガティブな気持ちとは少し違うと思う。自己研鑽のための苦しみなのだ。
……と、ここまでエラソーに対処法みたいに書いたけれども、それでもやっぱり「推しのため」に何かしたいよ~という欲もある。オタクだもの。推しの存在そのものに活かされているんだから、貢献したいよ……。
そんな煩悩の権化な私が見出した解決策が、「推しの配信へのレビューを全力でする」「アーカイブに感謝の気持ちを込めて高評価を押す」「ファンレターを出す」という三本柱だった。
配信へのレビューは自己満足(日記的な意味)ではあるが、あわよくば推しの良さを布教できないかな、という目的がある。推しの素晴らしいところを知ってもらえたら、それはきっと推しのためになるはず……。
アーカイブへの高評価・コメントは、一個でも多い方が配信者にとっては良いことっぽい、というふんわりした情報から積極的にやるようになった。
ファンレターは、スパチャやコメントよりも時間をかけて推敲できるし、推しに気に入ってもらえるかなと思いながらレターセットやシールを選ぶのも楽しい。いわばこれも自分の楽しみに近いのかもしれないけど、私も作る身として記事や小説の感想がもらえるとすごくうれしいから、ポジティブな感想はきっといくらでも伝えていいはず!と思える。(もちろん、長くなりすぎたり無駄に重くならないようには気をつけてはいる。クソデカ感情を直でぶつけられるのは全然怖いからね)
そういうことを意識的に実践してみて思ったのは、もっとポジティブな語彙を増やしたいなということ。
褒めるのって結構難しい。ホントに感動したときって語彙は飛ぶし、軽率に全肯定したくなる。ただ、勢いのままにコメントするときは、その勢いも含めての「感想」だから、全然それもアリだと思う。
ただ、どういうところがどのように良かったか適切に説明できたら、第三者が読んだ時に興味を持ってもらいやすいし、「クソデカ感情」を丁寧に解きほぐせれば、推しへ恐怖を与えずに正確な気持ちが伝えられるんじゃないかなと思うのである。
仮にも創作する身で「語彙がないよぉ…」といつまでも言ってられないので、とにかく勉強の必要があるなと「推し活」を通して実感しているところである。
このような自己への反省と、勉強のきっかけをくれた推しにはまた感謝である。
「推し活」は所詮自分が叶わなかったことを「推し」に託しているだけ、みたいな内容のポストを見たことがある。(正確には覚えていないが)
そういう人もいるし、それが心地よい人もいるのかもしれないが、私は「推し活」をしたから自分の夢を叶えられた、と、推しに報告できるようなファンになりたいなと思うのである。私が充実しているのはあなたのおかげなのだと。「推し活」と「自分の夢への活力」が両輪で回るようになったら最高だなと思う。
まだまだ推し活初心者なので、これはもちろん理想論。けれども、何事も理想はあった方がいいだろうから、うまく現実とすり合わせながら楽しく無理なくポジティブに、推し活をしていきたいなと思う。
この記事を読んで、お前の推しは誰なんだと思った方は、ぜひにじさんじ「いずれ菖蒲か杜若」の珠乃井ナナちゃんをよろしくお願いします。過去記事を置いておきますので、よかったらそちらのリンクから配信もチェックしてみてください。ほんとにかわいくて歌が上手くてめちゃめちゃいいですので。
そしてお給料が入ったら私はあやかきのランダムチェキを買います(※今回の記事を書くに至った煩悩の原因)。
推し始めのときに買うかどうか迷ってたら売り切れたんですよ……在庫追加されたみたいなので、待っててくださいランダムチェキ。そして来てくださいななたまのシークレット……。
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