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公任さん番外編 源俊賢の自己推薦

 面白い逸話を見つけたので、今月二度目の更新です。
 
 今回は公任さんと同じ四納言の一人、源俊賢のお話。
 『古事談』「俊賢、蔵人頭に自薦の事」というタイトルです。
 一応最初にちょこっと公任さん要素もあります。

 というわけで、ババンと自己推薦したのがドドンと採用されたお話です。
 後半の斉信はドンマイですね。

 本文の方を解説していきましょう。

 まず、藤原道長の兄、道隆が俊賢に「誰が蔵人頭になったら、朝廷のために働いてくれるかなー?」と聞いたところから始まります。
 本文には書いてませんが、注によれば前任が公任さんだったそうです。ほんのり公任さん要素。
 余談ですが、『大鏡』によると道隆は美形だったそうですね。絵の方、当社比で二割増くらいイケメンにしておきました。息子の方の伊周は美形のイメージあるんですが、道隆はノーマークでしたね。
 
 その道隆の問いに対し、俊賢は「俊賢に過ぐる者なし=私以上の者はおりません」と答えます。すごい勇気のある自己PRですね。道隆の返事は書かれていませんが「よつて五位の頭となる」とあることから、その自己PRによって俊賢が蔵人頭に補されたようなので、割とすんなり決まったのかなと。そもそも俊賢に人事の相談していたくらいなので、好感度と信頼度が高かったのでしょうね。

 さて、こうして内定が出ていたわけですが、一般の人はそれを知りません。当時は俊賢よりも、同じ四納言の斉信の方が位が上でした。そのため、斉信は「次の蔵人頭はフツーに俺だろう」と思っていたわけです。実際順当に行けばその通りで、この時のように俊賢が追い抜く形で就任するのは、イレギュラーなことだったそう。自信満々の自己推薦の甲斐があったというわけです。
  
 俊賢に「蔵人頭は誰?」と聞いて「私です」と答えられ、斉信が赤面して退出してしまった、という部分の理由がちょっとわかりにくいかもしれません。これについて、本文でも特に詳しく書かれてはいないのですが、考えられることとしては……。

一、自分だろうと思っていた思惑が外れて、自意識過剰さに恥ずかしくなった。
二、「誰だった?」と聞いた相手が本人だったことが気まずかった。
三、絶対自分だろうと思っていたので、敢えて「誰だった?」と聞いて「あなたでしたよ、おめでとうございます」と言ってもらうつもりだったから、急に恥ずかしくなった。
四、俊賢は無いだろうという前提で話しかけたので、俊賢を侮っていた自分が恥ずかしくなった。

 と、理由としては大まかにこんなところが考えられるかなーと思います。全部の複合かもしれません。でもここで恥ずかしいと思うのは、斉信いいやつだなと思ってしまいます。反省してる。

 その後で、本文では2年後斉信が蔵人頭に任命され、立派に務めを果たしたということが書かれています。突然斉信の話に切り替わったのはびっくりしました。最初読んだときは俊賢のことかと思いました。
 補足すると蔵人頭になった斉信は「大将のように」振る舞って、白楽天の「鳳凰池上の月」という句を吟じながら宮中を行ったり来たりしている様子は、「神仙中の人=人間界の汚れを離れた人」と称えられたそうです。
 ちょっと大げさでは……と思いますが、「ちょっと恥かいた斉信さんも蔵人頭(中将なので頭中将)としてはすごい人だったよね!」という編者のフォローかもしれません。

 俊賢はこの時の恩を忘れず、道隆の家系の中関白家が没落してからも、敬意を忘れなかったそうです。それについてのエピソードもまた別記事で書けるといいなと思っております。

 行成や斉信にも個人エピソードはあるので、また公任さんの番外編としてご紹介したいですね。

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