私の生い立ち①
私の過去についてお話ししたいと思います。
どう受け止めるかは人それぞれだと思う。
けどこれが私の生い立ちです。
家族構成
父、母、兄、私
父は日本人🇯🇵で母はフィリピン人🇵🇭です。
私はその間に生まれたのでフィリピンと日本の
ハーフになります。
兄は、お父さんが違うので
純フィリピン人です。
これだけ見たら大した家庭環境では
ないかもしれないですが
実際は、すっごいごちゃごちゃしていて
すごく複雑です。
それはまた別でお話ししたいと思います。
私の育った環境
まず、私の育った環境を簡単にいうと
ママはどっぷり宗教に浸かってて
パパはパチンコにお金を散財して
平気で電気ガス水道が止まる。
ママに集会に連れてかれていい子に
できなかったらベルトで叩かれる。
誕生日もクリスマスもお祝い事は
宗教上できない。
お正月のお年玉とかもダメでした。
家族揃ってご飯を食べるとかも
ほとんどありませんでした。
ママは情緒不安定で私はいつもママの機嫌を
伺って接してた。
パパはよく分かんなかった。
けど基本、私には優しくて甘々だったので
パパのことは大好きでした。
あの言葉を言われるまでは。
その言葉っていうのが
14歳の時パパに
「アンタ誰とでも寝るんでしょ」
そう言われました。
衝撃すぎて頭が真っ白になりましたね。
いくら反抗期にしろ
大好きなパパからそんな言葉
思ってもなかったしキツすぎた。
つらかった。12時間ずっと泣いてました。
本当にぶっ通しで泣いてて
目にナメクジがついてるくらい腫れた。
ママも私を平気で傷つけるような言葉を
言ってくることが多々あって
ママと喧嘩して言い合いになると
「アンタ気持ち悪い。アンタはおかしい」
そう言われた。
私の髪の毛を引っ張ったり物を投げてきたり
それが当たり前だった。
でも数日経つと、ママは謝罪もなしに
何事もなかったかのように接してきた。
私は深く傷ついたのに
別にパパとママを悪く言いたいわけじゃない。
でもこれが私の育った環境。
繊細だし、子供の頃の私には
衝撃が強すぎた。
だから私は、歪んでしまったのかな
って思う。
9歳
まず、私が初めて希死念慮をもったのは
9歳の時です。
まだ10歳にもなってないただの子供。
なのに初めて
「死にたい。もう消えたい」
そう思ったのが9歳でした。
なんでそう思ったのかはハッキリ思い出せない
けど心当たりあるのは
私がハーフでいじめられた時に
パパとママに相談しても
何もしてくれなかったから。
ちゃんと話を聞いてくれなかったから。
だと思います。
私の中で多分すごく辛くて
でも親には聞き流されて
その時から私は辛いことがあっても
自分でどうにかしなきゃいけないんだ
って思いました。
だからそれくらいの時から
辛いことがあっても誰かに話すことは
しなくなった気がします。
初めて自分の人生を終わらせようとしたのも
この時です。
理由はまた違かった気がするけど
思い出せないです。
自分で包丁を持って自分のこと
刺そうとしました。
怖くて出来なかったけど…
その場で泣き崩れたのだけは
今でも覚えてる。
誰もいない家で時計の針の音が鳴り響いて
"9歳の女の子"が
"自分で人生を終わらせようとする"
なんて悲しすぎる。
13歳
中学に上がって中1の冬くらいから
遅刻するようになって中2で不登校に。
13歳でタバコ、お酒、性行為
クラブに行ったのもこの時が初めて。
大人の世界に入ったのが13歳だった。
その時は、大人ってこんな遊び方してるんだ!
サイコー!なんて思っていたけれど
私も今は親になって娘がいる私からすれば
もし娘が13歳という若さで
そんな状況にあったら混乱する。
だって13歳って体は大人でも
中身はまだまだ子供で
普通だったら学校に行って勉強して
友達と過ごしてるはず。
でも私は、学校にも行かず夜に出歩いて
タバコを吸ってお酒を飲んでクラブ行ったり
男の人とエッチしたり
そんな大人がしてることを13歳っていう
"少女"がしてた。
正直、その時は楽しかったけど
なんでかいつも心が空っぽで
その心の隙間を埋めようと
周りの子には経験できないようなことをして
変な優越感に浸って
"現実逃避"をしてたんだと思う。
実際にその時つるんでた一個上の女の子に
「学校の奴らじゃ、
こんな遊び方できないでしょ」
って言われて
確かに。私たち大人だ!
なんて勘違いしてた。
14歳
14歳の時に家庭環境がすごい複雑なのを知って
なんかすごい病んじゃって。
この時くらいから自分を見失いかけてたかな。
なんかもう自分がどうでもよくて
生きてる意味も分かんないし家にも学校にも
"どこにも居場所がない"って
すっごい感じてた。
初めて自傷行為をしたのも14歳の時だった。
私はいつも一杯一杯で
ちゃんと向き合ってくれる大人もいないし
どこに弱音を吐けばいいのか分からなくて
小さい頃から、とにかく一杯一杯だった。
自分が生きてるのかも死んでるのかも
分からないくらい病んでた。
自傷行為
この時、私は2個上の女の子と関わってて
よく遊んでたんだけどその子が自傷行為を
してたの。
最初は、自傷行為の存在さえ知らなかったけど
その子の腕に一本の線状の傷を見て
私は自傷行為の存在を知らなかったから
「どうしたの?」って聞いたの。
でもその子は
「なんでもないよ。怪我しちゃっただけ」
って言った。
その時は、そうなんだ。って思ってたけど
ずっとなんかそのことが引っかかって
モヤモヤしてて
そしたらTwitterとかでリスカの
画像がたまたま流れてきて。
その時に自傷行為の存在を初めて知って
友達も自分でやったんだ。
ってその時に気付いた。
私は最初、自分で自分のこと傷つけるなんて
って理解ができなかった。
だからネットで
"自傷行為 原因"
"自傷行為 理由"
とか調べてた。
そしたら、『切るとスッキリする』って
書いてあった。
その時は「そうなんだ。スッキリするんだ〜」
くらいにしか思ってなかった。
でも、自分が一杯一杯で
どうにかなりそうだった時に
自傷行為してる友達のことを
ふと思い出して。
すごい怖かったけど切ってみた。
そしたら自分が思ってる以上に
すごいスッキリしちゃった。
私"生きてるんだな"って思った。
自分を傷つけてそう思えた。
なんか、悲しいよね。
それから回数も増えて
気づいたら辞められなくなってて
私の中で、自分を傷つけることで
"生きてる"って感じる
唯一の方法だった。
いつも頭の中で
"大丈夫だよ。生きてるよ"
って自分に言い聞かせてた。
全然、大丈夫なんかじゃなかった。
心も体もボロボロだった。
ある時、自傷行為がママにバレた。
抱きしめてくれると思った。
けど違った。
ママは怒鳴りつけた。
「なんでそんなことすんの!何考えてんの!」
ヒステリックを起こして
私の髪の毛を引っ張り私を殴った。
もっとつらかった。
けどその時のママは泣いてた。
抱きしめてはくれなかったけど泣いてた。
私も一緒に泣いてた。
「もうしないで」
ってキレながら言って私の部屋の扉を
思いっきり閉めて私の部屋を出ていった。
それからもママの態度は
変わることなんてなかったし
いつも通り情緒不安定なママ。
自傷行為はやめれなかった。
また、次こそは"バレないように"って
気をつけながらやってた。
15歳
中学3年生で年齢を偽って
夜の仕事を始めました。
普通の中学生よりお金を持って
欲しいものは値段を見ずに買ったり
家に帰らずホテル泊まったり
子供なりに豪遊してました。笑
と同時にこの時くらいから
自分を見失ってました。
この時くらいから売春斡旋してて
私は両者にいい顔してました。
友達を平気で裏切ってました。
16歳
もう完全に自分見失ってました。
自分のことがどうでもよくて
大事に出来なかった。
友達裏切って売春斡旋で
刑事さんにお世話になりました。
捕まった時に自分がしたことの
"重大さ"に気づいた。
その時、寄り添ってくれてた友達を
平気で裏切った。
自分が最低すぎて嫌になった
なんで裏切ったのか。
私が思いつくのは
私は世の中にも自分にも失望してて
誰も信用してなかったから。
正直、自分も周りもどうでもよかった。
どうなってもよかった。
けど聴取受けてると
すごい気分も悪くなってくるし
刑事さんに会う日が
嫌で嫌で仕方なかった。
でもこれが自分のしたことの
"責任"なんだ。
ってその時に思いました。
続く
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