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奔放な娘に翻弄される「僕」『卵を産めない郭公』ジョン・ニコルズ作 (村上春樹訳)を読んで 

今年は毎月1冊文学作品を読もうと決めたのですが、1月は『ペスト』2月は『フラニーとゾーイ』と2冊読了したのが、2月のまだ上旬。そこで、ほんの気なしに本棚にあって読んでなかったこの本を手に取りました。

1965年頃のアメリカ東部のエリート校の男女の恋愛模様を描いています。

主人公はその2人ですが、この女子がまたなんともエキサイティングで、感情の振れが大きく、いつもエキセントリックな振る舞いをするので、もともとは内向的で地味な「優等生」タイプのお相手の男子がどんどん彼女に引きずられる形で破天荒になっていき、はちゃめちゃな悪ふざけなどを繰り広げます。そしてラストでは、お互いの愛が冷め、別れにいたるというストーリーです。

ここまではちゃめちゃな学生時代を送るのだったら、留年などしてもいいはずでしょうが、物語では、あくまで男の子は、彼女といる時間や、学生寮の悪友と騒ぐ時は派手にはめをはずしつつ、それでも一人の時は学業に専念しているといった様子。

語り手は、主人公なので「自分は安全なところにいて」周囲の様子を観察するといった、村上春樹の小説の「僕」にその立ち位置がそっくりです。

最近このての男子を主人公にしている作品が増えてきていて、それが人気になっているように思いますがどうでしょう?
人気アニメ、人気ドラマ、さらにはRPGなどはほとんど、この「奔放な娘に翻弄される「僕」」ではないかなと。そう、主人公の「僕」は、きわめて受動的。そしてなぜか身が守られている(笑)。躍動して生き急いで、やがて破滅していくのはいつだって「僕」を取り巻く人たちだけなのです。


この本を読んでいて途中から、吉田修一の『横道世ノ介』を思いだし比べていました。主人公の「周囲への自律的な関わり方」の多寡が、小説の価値を決めるのだなぁと。

新潮社より
https://www.shinchosha.co.jp/book/220091/


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