見出し画像

パラリンピックが面白いなんて思ってなかった

パラリンピックが始まってから、毎日何かしらの競技を見ている。パラリンピックを楽しめるようになったのは今大会が初めて。

リオの時までパラリンピックには全然興味がなかった。どの競技にも、オリンピックほどの記録も出ないし、と冷めた態度だった。

今回も前回までと同様、興味が持てなそうだから見ないかも、と思いつつ、でも、オリンピック選手たちのように高みを目指してトレーニングしてきたパラリンピック選手たちの集大成を全く見ずに冷めた態度でいる自分はなんか嫌だった。どの選手も努力して、障害がない人たちには理解できないような困難と共に生きてきた彼らのこれまでをただ想像して尊敬すると言ってしまう自分は浅はかだと思う。勝手な想像で尊敬しながら、プレイに勝手に冷めている矛盾のような感覚も正したい。

オリンピックほど熱くなれないだろうけど、多少知りたくて見てみることにした。開会式を見、翌日からは競技を見た。

パラリンピックを見ようとテレビを点けたら競泳の中継が見られた。脳性麻痺でうまく体のどこかが機能しない選手や両脚がない選手、片腕が短く両脚がない選手、両腕がない選手、背が低い選手が入場してくる。彼らが入場しスタートするまで、どう泳ぐのか想像しているうちに、スタートした。脚がない選手が飛び込み台からぴょんと飛び込む。両腕がない選手は腹を下に向けてスタート、水面に上がってくるタイミングであおむけになり、両足をそろえたキックで進んでいった。「えっ!」「すーごい!」しか言ってないと思う。

体の使い方が驚異的だった。手足の短い選手は水を掻く回数を多く、脚が不自由な選手の平泳ぎはキックができない分、より水の抵抗を小さくしながら上半身で進む。解説者が、片腕で泳ごうとすると通常ひっくり返ってしまうと話していた。男子100メートル自由形で金を獲った鈴木選手の凄さは見えていること以上だった。鈴木選手は両脚がなく、片腕が短い。片腕が利かないとひっくり返るし、まっすぐ泳ぐのが難しい。解説がなかったら気が付かなかった。

車いすラグビーにも驚いた。フランスの腕の短い選手が車いすを自在に操り、相手選手からボールを奪う。ボールを奪った一瞬が速くて見えたような見えてなかったような。男子選手がほとんどだけど、日本チームは華奢そうに見える女子選手がコートに入ってきて面食らった。ガタイのいい選手にぶつけられたら飛んで行っちゃいそう。飛ばされませんように、と祈りながら観戦した。

陸上を見ていると、義足のバネの力をうまく使って走ったり跳躍したりする選手がいる。義足の進化で、オリンピック選手より記録が出る日が来るんじゃないか、と聞いたことがある。たしかにありそう。義足の進化で記録が出るなんてどこかズルそうに思える節があったけど、義足をはめた選手の幅跳びを見ていたら、全然ズルそうに思えなくなった。義足で走ることがそもそも難しそう。走るって脚だけを使うわけではないから、思いもよらないストレスが体のあちこちで起こるんじゃないだろうか。

いつか義足の進化でオリンピック選手の記録をパラリンピック選手が塗り替えたら、それはやはり偉業で、まったくズルいことじゃない。むしろ、義足の進化に貢献した人々、進化した義足を使いこなせるようになった選手を称えたい、めちゃめちゃ称えたい。

どの競技を見ても「すごいな」としきりにつぶやいてしまう。オリンピックと同じように熱く競技に見入って、手をたたきながら歓声を上げて、仕事から帰ってきた夫に競技の凄さを語り、リビングにやってきた娘たちを呼び止め、一緒に観戦する。家族は迷惑かもしれないけど。

こんなにパラリンピックが面白かったとは。

こうして楽しめるようになったのは、視点の変化だと思う。かつては勝ち負けや記録が重要だった。試合そのものを見なくても、ハイライトと結果が分かれば十分だった。今は選手の体の使い方や試合の展開の面白さに見る価値が移ってきた。
日本の選手やチームが勝つと嬉しいのだけど、日本以外の試合も楽しい。目の見えない選手は自分のフォームを調整してきたのか、両脚のない選手の義足の感覚はどうなのか、と考えつつ、画面に映る選手たちの器用さに人間の体ってすごいんだなと、試合ごとに感じ入る。

パラリンピック、まだまだ知らない競技がある。テレビで放送されないものも、スマホで検索して見てみたい。まだ出会ってない面白さがあると期待している。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?