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噂される意義

私のようなしがない40代女性の、これと言って惹きつける文章を書くでもない人間の日記を読んだところで、基本的に読者が有意義な時間だと感じることはないだろう。

ただ、一部の人にはなかなかいいネタになるのかもしれない。面識のあるママ友とその周辺、親類等々、どこかでリアルに会ったことがある人たち。娘が不登校だとか、家を建てて3年で私が元夫に追い出された話とか、なかなか興味深いネタだと思う。

住まいから半径5キロ圏内に、私と元家族の噂をしている人がいても不思議ではない。いい気はしないけど、まあしょうがないだろう。で、私たちは噂されたとして、どんな噂をしてたのか知った後、噂してくれていた人に会ってみたい。「その話、楽しかった?」って聞いてみたい。正直そうな感想を言った人と一緒にコーヒーでも飲みたい。噂してたことに気が引けて何となくばつが悪そうに「大変だったね」なんて言われたら「まあ、みんないろいろあるよね」って適当に言って、それきりにしたい。「噂になってるね、かわいそうに」より、「噂になった時、一緒になって盛り上がっちゃった、ごめーん」って言える人と会話をしてみたい。そんな人と会ったことないけど。

なんで噂なんてするんだろうと思っていたのだけど、何となく理由は分かる気がする。共通の話題を持つことで、人と人のつながりを保てるのだろう。人は一人じゃ生きていけないしね。共通の話題が天気でも政治でも何でもよくて、噂話はその一つなんだと思う。誰かとつながっていたい欲がない人には、生きていく上で直接必要のない噂話はそれほど重要でないのではなかろうか。

そんなことを思ったら、私が噂のネタになるのは誰かが人とのつながりを作り保っていくのに役に立っているんだなと、他力ながら自己効力感が味わえてきた。

みんな、私の噂をしてくれてもいいぞ。その代わり私のことだけだぞ。もし上手で盛り上がったなら「人とのつながりを、ありがとう」と缶ビールでもお菓子でも納めてくれ。


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