短編小説『冷めた紅茶』
『お待たせしました。ホットティーとアイスコーヒーです』
私の前に湯気が咲いているホットティーが置かれた。
目の前の男はこんな寒い季節でもアイスコーヒーを頼む。熱いのは飲めないと以前話していた。
優雅な休日のカフェ...ではなく、
今日は別れ話をしに来た。
人目のあるところの方が、お互い感情的にならずに済むだろう。
『別れたいってどうして?』
男は店員さんが去るとすぐに言葉を発した。
私は、どこを持っても熱いカップのハンドルを掴み、一口紅茶を啜ろうとしたけど思ったより熱くて唇を付けただけになった。
何も答えずに、テーブルに紅茶を置くと、今日つけたリップのピンクが残っていた。
『後で拭かなければ』と冷静に考える。
『俺は別れたくない』
男は答えのない私にさらに話した。
「もう2人の将来が見えない。貴方のことが嫌いになったんじゃない。けど、自分の将来を考えたら1人で生きていきたいの」
『そんなの自分勝手だよ』
それもそうねと、手を伸ばしてまた紅茶を持ったけどやっぱり熱くて飲むのをやめた。
男のアイスコーヒーも減っていない。
きっと飲む余裕がないのだろう。
私より年上で仕事してる姿が素敵だったなと思い出す。
飲み会をきっかけに仲良くなって、交際に発展するっていうよくある流れだ。
彼と初めてのベッドを共にした時、
意外にも乱暴的で自分本位な時間だった。
性格もベッドの時間もあまり一致しない私たちが3年も付き合えたのは奇跡に近い。
『俺の悪いところあれば直すから。不満でもなんでも教えてよ』
「貴方は決して悪くないから。」
じゃあどうして、と男はボソッと呟いてコーヒーにストローをさした。
口をつけると、黒い液体がストローの中から這い上がるのが分かる。
男が吸うのを辞めると、すーっとコーヒーが降りていった。
きっとこの別れ話も長くなるだろう。
「あなたの不満なら何にもない。さっきも言ったように私は1人で生きたい」
『本当に自分勝手だよ。このまま結婚すると思っていたのに』
「じゃあ何でプロポーズしてくれなかったの?」
勢いで言ってしまったけど、もしプロポーズされていたら私はこの日を迎えることはなかったんだろうか。
この男と結婚を決して考えたことがないとは言えない。
私だって女として、好きな相手と結婚したかった時期もあるけど、この男がそのタイミングで私に伝えてくれていたら、きっと結婚を受け入れるのに。
『仕事がバタついていたんだよ。落ち着いてから伝えようと思った』
でもね、『もう遅い』と思った瞬間、それは言葉になって相手に伝わってしまった。
『ごめん』と、男が下を向く。
『わかった。俺が悪かった。だから…』
相手が何を言いたいのか分かった。
私はそれを阻止するためにまた言葉を発す。
「ありがとう。次は幸せになってね。強引でごめんね」と、一口も飲めていなかったティーカップを持つ。
熱が冷めて持てる温度になっていた。
『嫌だよ』
「こんな滑稽な別れ方させるような男とは将来やっていけないわ。」
本当なら私の奥深くのつっかえを一緒に解いて欲しかった。
それなら気持ちは戻ったかもしれないのに。
一方的に嫌だと言われ、「直すところがあれば」といかにも自分は悪くない前提で話されるのもこれ以上続くと辟易する。
ティーカップに口をつけると、ぬるくなっていた。
私たちも燃え上がり熱い時間だってあったはずだ。
今は紅茶と同じく冷めきっている。
そればかりかぬるい紅茶は飲んだ後も気分が優れない。
もう熱い紅茶には戻れない。
私はそっとティーカップを置いて財布から2000円出した。
『ねぇ、待って』
男から引き止められる。
「さようなら」
私は立ち上がり、店を出た。
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