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短編小説『水無月』③(完)

もっちりとして弾力があって、簡単にはフォークでは切れなかった。

少し力を加えると小豆と白色のういろうがフォークに乗った。

『ん、これおいしいね』
先に味わったのは母だった。

私も口に運ぶと、つぶつぶの小豆とういろうが絡み合って甘さがちょうどよかった。

餡子みたいに甘いものかと思ったけど、さっぱりとしていて小豆もほんのりとした甘さだった。

小豆とういろうの甘さが強調されていない分、食べていても飽きがこないし、食感そのものを堪能できた。

「甘すぎなくて美味しいね」
そう母に話すと、口元が弓を描いたような朗らかな笑顔だった。

『そうだねぇ。こんなに上品なものは初めてかもしれないね』

いつの間にか先に食べ切っていて、残されたお皿を名残惜しそうに眺めている。

「もう一つ買ってきたらよかったね」

『6月限定だから、そりゃあたくさん食べて満喫したいけど、私はこの一つで充分だ』

「ふーん」と相槌を打って、残りの水無月を食べ切る。

「また買ってくるから」言うと、母はびっくりした眼差しで私を見つめていた。

「なに?」

『いや、また買ってきてくれるってことはたまには家に顔を出してくれるんだと意外に思ったんだ。もう縁を切るつもりでこの家を出るんじゃないのかい?』

「そこまでは考えていない。ただ母さんと過ごすのはやっぱり窮屈だから」

『そうか。』と母は麦ちゃん手にとって一口飲んだ。

『母親らしきことは一切できずに、偉そうなことは言えないけど、こうやって娘と和菓子を食べる時間はこんなにも幸せだったんだって思い知らされたよ。今まで急に男連れ込んだり困らせたりして悪かったね』

「急にどうしたの。確かにその通りだよ。ずっと私は我慢してた。家出るって最初に伝えたときも激高したよね。もううんざりだった。母親らしいことも何もしてもらってない。私は母という存在が子供にどう影響をもたらすのかさえ知らない。私はずっと放置されていたから。私は『母親』という人はいないと思って生きてきた」

でも…と私は続けた。

「母さんの言うようにこの時間、この一瞬の時間、母さんが笑顔で水無月を食べていた景色は一生忘れられないと思う。初めて見た穏やかな表情だったから。だから、たまにはここに帰ってくるからその度にいろんなお菓子を一緒に食べようよ」

その瞬間に母の目から涙が溢れた。

『ありがとう。あんたは良い子に育ったね』

反面教師ですーっと意地悪に笑って言ってやった。
つられて母も涙が出ながらでも笑顔になった。

『もし辛くなったら帰ってきておいで。母さんはあんたが心地よく家に帰れるように自立する。笑顔で迎えれるように頑張るから』

「私も強い女になってまたお菓子持ってくるよ。そんなに遠いところに住まないから安心して」

今になって私と母は『親子』になれた気がした。

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