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定禅寺通りにおしゃれな空間を作ってみた(バイト)

今日は、朝一で剣道、からのバイト。

死にかけた昨日の稽古に比べたら、人が多かったせいか、体が順応したせいか少し楽だった。それでも男子にぼこぼこにされるのには変わりなく、相変わらず嫌になっちゃうけど。

そのあと、バイトしている不動産会社へ。仕事がなかったので、明日から定禅寺通りで行われる社会実験の設営準備のお手伝いをすることに。完成した時の写真がないから、途中のものになっちゃうけど、こんな感じ。

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想像以上に雰囲気が伝わらなくて愕然としているけど、これを組み立てたり、無い部品を探したりすること6時間。予定勤務時間を軽くオーバー。来週のTOEFLに備えて勉強しなきゃいけないんだけど、たかが1.2時間なんて余計な時間を捻出すればできるものだから、これを言い訳にしない。帰ります、って言わなかった(言えなかった)のも自分。甘えずに勉強する。

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設営のリーダーの方と空いた時間にいろいろ話してて、気にかかった言葉があった。

「東京出身ってだけで才能」

東京、っていう時間の流れが異常なところで育って、それを幼いながらに知っているのは強い、という意味らしい。才能、ってわけじゃなくて、何だろう恵まれてる、みたいな感じかな。


確かに、最近いくつかの地方、田舎に行って感じるけど、時間の流れが異常にゆったりしてる。東京にいたころは、朝電車に乗るのに分単位、何なら秒単位で動いたり、常に今何時か確認していた気がする。仙台はもはや小東京だから時計はよく見るけど、秒単位で動くことはめったにない。ましてや地方に行ったときは、何時かすらよくわからずに活動していることもままある。

東京のせわしなさを知っているからなのかわからないけど、そういう地方のゆったりした感じがすごく好き。すべてお金がモノを言う東京とは違って、お金では測れない豊かさを感じる。でも、そこにずっと居たいか、と言われると怪しい。

私が親戚の家があるのでもなく、観光としてでもなく初めていった田舎は、宮城県の川崎町なんだけど、ここで時間のまったりさを初めて感じて、正直本当に驚いた。時計もないし、見ようとも思わない、スマホもどこかに転がっていて、いじろうと思わない。びっくりした。

今書きながら思ったけど、都会はスマホとかPCに長い間触れているのに対して、田舎はデジタルに触れる時間が短い、みたいなところも関係しているのかしら。(ずっといろいろつらつら書いてるけど、これは私のイメージと体感から得た感覚の話。もちろん例外の地域とか人もあると思う。)

地方出身の人は東京の時の流れが早い感じに対して、どう思うのだろう。
つらい、きつい!とマイナスな感覚なのか、
東京ってやっぱりすごい、じぶんも頑張ろう!と感化されるのか、
頑張って背伸びしてついていこうとするのか。

田舎のゆっくりしている感じは、時に心地よく、時にじれったい。だから、それをうまく掛け合わせて生活するのがいいんだろうな、と思う。東京ほどはせわしなくないけど、田舎ほどまったりもしていない仙台みたいなところに住むのもありやけど、中途半端な感じがするんだよなぁぁ。

急に将来設計みたいな話になってしまった。

今日は、バイト中の隙間時間に話して気になった時間の流れの感覚について書いてみた。これいつか読み直したら、大学生の時はこんなこと考えてたんやなぁ、ってなるのかしら。

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