『鼻もちならない女たち』 Ⅰ はじめに
昨今、SNSの普及により全世界の人々が顔も名前も知らない誰かといつでも交流することができるようになった。それは画期的な進歩であったが、長年にわたりSNSを続けていると、世の中には決して相容れない価値観を持つ人物もいるのだという考えに至ることもしばしばある。大抵の場合は“クソリプは即ブロ”で済むが、粘着されて別のアカウントを作って何度もクソリプを飛ばされた日には堪ったものではない。
一方、筆者はSNS歴およそ15年で、古参と言えなくもない年齢に差し掛かってきたのであるが、最近はSNSで実生活では遭遇し難い価値観の異なる人物の投稿を見るのが密かな楽しみとなりつつある。ほとんどはユーザー同士の言い争い、もしくは知ったかぶりの引用などである。それから自分では正しいと思い込んでいる発言が偏見まみれだったりする投稿だ。
それらの投稿はSNSを開けばいつでも見られるし、驚くことにそれはいつまでも尽きることがない。何度同じ話をすれば気が済むのかとうんざりすることも稀ではなく、それだけ多くの人間が破綻した思考をネット上に垂れ流しているという証拠でもある。
筆者はそうした投稿をネット上の戯言だとは思っていない。少なくともその投稿には一人一人の意思があり、彼らなりの経験や実体験を基にしたバックボーンがあるからだ。彼らには彼らなりの主張があり、彼らなりの常識があり、彼らなりの正義がある。しかし、それは時に他人を傷つけ、生活に影響を及ぼし得ることも忘れてはならない。
筆者は今回、よく見かける投稿で記憶に残っているトピックを抽象化して紹介していきたいと思っている。そのうえで、世間に対する不満、身近な人物への愚痴など、何かを言わずにはいられない衝動的で軽はずみな人間模様を浮き彫りにしていきたいと思う。
本著『鼻持ちならない女達』では以下のトピックについて語っていきたいと思う。主に女性に多い投稿内容から見られる女のサガに注目する。女性は客体として扱われてきた歴史が長いため、その生態に関して男から見た女像は山ほどの資料があるが、男には見えない女のリアルな長所・短所についてはなんとなく思うところはあるもののそれが何なのかはっきりしないところも多い。個々人の女の中では正解があっても、それが全体知として共有され始めたのはごく最近のことだ。
フェミニズム研究が進んでも全ての女が満足するような目覚ましい効果が得られないのは、女の価値観には一つの絶対的な正解がないからだと筆者は思う。それぞれの立場に置いてそれぞれの中の最適解があり、しかもそれは時と場合によって刻一刻と変化している。女が昨日はこう言ったのに今日になったら違うことを言っているのはそうした状況変化による最適解の再検討が常に行われ続けているからである。そうした優柔不断な決断の不一致は一人の女の中だけで行われているわけではない。およそ35億人の全ての女の中で個別に行われ続けている。だから女は複雑なのだ。
筆者は女の敵でも味方でもない。と、言いたいところだが、この主張は敵側の言い分にしか聞こえない。女というのがいかに身勝手かをこれから語ろうというのに味方だと言っても信じてもらえないだろうからだ。ただ一つ言えることは、女は表面上はチームを組んで物事に取り組むのが得意だが、根っこの部分では独立した何かであるということだ。その生態を理解したうえで女と接することができるようになれば、あなたが女を毛嫌いすることはなくなるだろう。