見出し画像

12.4-10|おいしいものを食べながら、やりたいことについて考える

おいしいものを食べながら、次の仕事ややりたいことについてあれこれ考えた1週間。
じっくり考えるのも良いけれど、私は考えてから一歩を踏み出すまでにかなり時間がかかってしまう。いつもなんだかんだ頭で考えるだけ考えて何もせず終わっている部分があるので、行動していかなくちゃ。

12.4(月)|おいしさを共有する楽しみ

金曜日から立て続けに甘いものを食べてしまったせめてもの罪滅ぼしにと、母と10000歩お散歩計画【第2弾】を決行。今回のコースは、高尾駅から高尾山口駅まで、ひと駅分。
高尾山は子どもの頃から遠足やスポーツ少年団の活動で幾度となく訪れた、馴染みのある山。最後に頂上まで登ったのは、おそらく大学2、3年生の頃。もう随分と前になる。
今回久しぶりに訪れてみると、駅舎はきれいに建て替わっていて、温泉までできていた。宿泊施設やミュージアム、おしゃれなカフェもあって、なんだか知らない観光地に来てしまった気分。
今回は山登りが目的ではないので、登山口の土産物店をぐるっと見て回り、折り返し地点として近くのカフェで休憩して帰路につくことに。
コーヒーを一杯だけいただくつもりが、ショーケースにキャロットケーキが並べられているのを見つけてしまった私たち。最近どうやらキャロットケーキにハマりだした様子の母が「2人でひとつ食べよう」と言い出し、もちろん私が反対するはずもなく。席についてしばらくして、カップに並々と注がれたカフェラテ2つとキャロットケーキが運ばれてきた。
今まであまり気にしたことがなかったのだけれど、キャロットケーキってお店によっていろいろな姿かたちをしている。パウンドケーキのような見た目をしているものもあれば、つい先週パン屋で見かけたものはカップケーキのようだった。

もこもこのカフェラテもおいしかった。


今回食べたそれは、ホールケーキを何等分かにしたピース形のケーキ。生地の周りにかためのクリームが塗られていて、さらにお皿の上にも生クリームが添えられていた。
「周りのクリームはチーズかな?」、「添えられた生クリームは洋酒が効いてるよ」、「この生地、ナッツが多いね」。あーだこーだ言いながら、一口ひとくちゆっくり口に運ぶ。
味わうって、こういうことなのかもしれない。少しずつ口に入れて、うーんとちょっとだけ考えながら。
こうやって母と分け合って食べたキャロットケーキの味を、私は忘れないと思った。

12.5(火)|考えきることの難しさ

ここ数週間、毎日日記をつけているけれど、いまいち最後まで考えきれていない気がする。痒いところに手が届いていないような。
思えばいつもそう。書き始めは良いスタートをきれるのだけど、だんだんと失速して、最後のほうは自分でも何を言いたいのかわからなくなってしまうのだ。
物事をきちんと見つめること。諦めずに、最後まで考えたい。

12.6(水)|また来週

家から車で40分、隣の隣の町の竹やぶの中にある小さなパン屋さんを訪ねた。
週に2回しか開いておらず、ずっと訪ねる機会を伺っていたお店。開店日を狙って行ったことには行ったのだけど、甘かった。開店1時間後に行った頃には、残っていたのはパン1種類のみ。
「ごめんなさい。うちはいつもほとんどお取り置きなんです。今朝は3種類残っていたのだけど、今はこれしかなくて」と、申し訳なさそうな店主さん。毎週火曜に今週のパンのお知らせが配信されること、お取り置きの方法を丁寧に教えてくれる。なるほど、店の奥にはたくさんのパンたちがお行儀よく並んでいた。
店主さんと少しお話した後、また来週来ようか、と気を取り直し、最後に残っていた大きなカンパーニュを買って店を後にする。お目当てのパンはひとつしか買えなかったのに、不思議と残念な気持ちはしなかった。
家に帰って、早速カンパーニュをひと口いただく。栗ほうじ茶カンパーニュ。切ってみると、中はきめ細かい生地で、予想していたよりもしっとり。これはおいしい。何もつけずに、このまま食べたいパンだと思った。何より口に入れた時に広がる良い香り。酵母由来の香りなのだろうか?どこかで嗅いだことのある植物の香り。ハーブのようにも感じるし、針葉樹と言われても頷ける。
また来週、お取り置きしたパンを迎えに行ったときに聞いてみよう。
ちょっぴり不思議なパン屋さん。ますます気になった。

12.7(木)|いつも少しの余白を

僕は自分にいつも余白もしくは空いたスペースを残しておきたいからなんだ。(中略)いろいろなことに、ぱっと反応できる元気さが必要なんだ。

松浦弥太郎『伝わるちから』P144

松浦弥太郎さんの本の中で出会った言葉。
少し前まで、私はなかなか余白をもてなかった。目の前のことに精一杯で、周りに関心を抱くことができなくなっていた。
あれから身の回りの環境が少しずつ変わっていって。落ち着いた日々を過ごしている今、ものすごく視野が広がったような気がする。
新しい本は読んでからもう一度読み返すようになったし、LINEの返事も早くなった。散歩も先を急いでせかせか歩くことはなくなったし、ご飯もゆっくり味わっているからか、「おいしい」としみじみ思うことが多くなった。
余白。それは、いつでも心を動かせる余裕を持つということ。
私も松浦さんのように、自分だけの余白を大切にし続けたい。
それがきっと、健やかに生きることへの大きな一歩だと思うから。

12.8(金)|本との出会い

「これは手元に置いておきたい」と思える本を見つけた。本は断然借りる派で、買うことは滅多にないけれど、今回はちょっと買おうか迷っているくらい。
髙森美由紀さんの『山のふもとのブレイクタイム』。

これは2作目で、1作目は『山の上のランチタイム』。


装丁のおいしそうなデザインに惹かれてたまたま手にとったら、読み心地が良くてスイスイと読めてしまった。
舞台は、青森県にある葵岳のふもとに建つレストラン、「コッヘル デル モタキッラ」(通称、葵レストラン)。そこで働く人たちと訪れる人たちの人間模様を描いた物語だ。
出てくる料理はどれもおいしそうで、読んでいるだけでお腹が空いてくる。特に気になったのは、オリーブオイルと塩でふんわり握ったおにぎり。材料はごくシンプルなのに、物語ゆえの魔法なのか、読んでいるうちにどうしても食べてみたくなった。
心温まるストーリーなのかと思いきや、(そういう要素もあったけれど)それよりも登場人物たちの仕事へ向き合う姿勢にハッとさせられる部分が多々あった。

「(中略)自分の働く場は、生きる場所だし、生き方だと私も思います。」

髙森美由紀『山のふもとのブレイクタイム』

これは、葵レストランのイケメン店長、明智登磨さんの言葉。
私は、仕事と暮らしが緩やかに繋がっている生き方をしたい。葵レストランの人たちはその生き方をごく自然に実現しているようにみえた。
「いいな」と思う本は、今の自分が必要としている言葉をくれる貴重な存在。この言葉が自分の心にとまったということは、私は今、「生き方」を模索しているということなんだろうな。

12.9(土)|校正者という職業

校正の仕事が以前にも増して気になっている。
ここ数週間「私ができること、やりたいことってなんだろう」と考えてきて、わかったのは、私はやっぱり自らの軌跡が残ることをしていきたいのだ、ということ。手を動かして作り上げたものがかたちとなって目の前に現れる時、私は喜びややりがいを感じる。あたりまえだけど、文章と写真で作りあげたものは、残る。残ると後から見返せるし、まだ見ぬ未来の誰かに見せることができる。私は子どもの頃からそういう「残るもの」づくりが好きだった。
編集の仕事もそういう経緯があって選んだのだけど、ライターの仕事を4年弱やってきて、0から文章を書くことを仕事にするのは自分にとっては苦しいということがわかった。
そうは言いつつも、写真と文章で構成された何かを作りたいという気持ちは変わらない。ならば、その作る過程で自分にできることは?と考えた末に出てきたのが、校正だった。
小さな会社の小さな編集部だった前職場には、もちろん社内に校閲部などはなく、校閲・校正は編集部のスタッフ同士で行う作業、もしくは社内のパートさんの役目だった。(もちろん。その分いろいろな経験を積ませてもらったと思っている)
文章を読むのではなく、定規を手に、一言一句と向き合う仕事。初めてその仕事をドキュメンタリー番組で目にした時は、職人技だと思った。
そんな仕事が今の自分にできるかはわからないけれど、気になってしまったのだから仕方ない。詳しく調べてみようと思う。

この記事が参加している募集

#週末プロジェクト

4,762件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?