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毎日書くこと。外向けの文章について

私は今、書くことを仕事にしている。けれど、書くことが特別得意だったわけではない。この仕事に就いたきっかけも、流れに身を任せて行き着いたのがここだった、というだけだ。

そんなことを考えるようになったのは、最近、「うう、どうしても書けない…」と立ち止まってしまうことが多々あったから。書きたいことは自分の中で「これ」と定まっているのに、それをうまく言語化できずに、書いては消しての繰り返しで、時間だけが過ぎてしまう。

よくよく考えたら、私は手紙やSNSの投稿文、メールに至るまで、書くのが非常に遅かった。とにかく時間がかかる。対して、ノートに手書きで書く日記は時間がかかると自覚したことはこれまでに一度もなかった。

つまり、「書く」という行為の中にも、書きやすいものとそうでないものがあるということ。書くことは割と好きなほうだと思ってきたけれど、その「書く」は考えを整理したり、残すためのものだった。伝えるための「書く」ではない。

外向きの、書いた先に読み手がいる文章。 私はこういう、伝えるための「書く」がハッキリいって苦手なのだ、と私はこの仕事に就いて3年目の春にようやく気づいた。
ところが、私が今、仕事としてやっている「書くこと」は、伝えるための「書く」がほとんどだ。

さて困った、どうすればよいのだろう。
途方に暮れていたそんな時、先輩から勧められた本を読んでいて見つけたのが、この一文だった。

「毎日、なにかを書く」ということです。日々、たゆまずに書く。そのうちにはきっとあなた自身の文章が形をなしてゆくはずです。

辰濃和男『文章のみがき方』P7

毎日書くこと。文章を書く人にとってはあたりまえに感じるかもしれないこの6文字に、なぜだか希望を感じる私がいた。

習慣化すれば、ハードルは下がる。今よりも外向きの文章が書きやすくなるかもしれない。そうしたら、書けずに立ち止まる時間もきっと少なくなる。

考えを整理するための日記は、毎日ノートに書いている。 これからは、その中に外向けの文章を加えていきたい。
先日から日報を始めたのは、この理由から。少しずつ。コツコツ続けていきたい。

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