ホーチミン行き(の予定だった)2019年9月9日成田初便顛末記
2019年9月8日〜9日の台風@東京・千葉
今(2019年9月15日現在)も続く千葉の台風災害による混乱。被災地の皆さんには心よりお見舞い申し上げます。そして1日も早く、日常生活を取り戻せることを願っています。
さて、この記事には、今回の有事に飛行機に乗ろうとした人に参考になるようなことはあまり描かれていないと思います。日頃ならホーチミンを楽しんでもらうためにあーしろこーしろと偉そうに言うところですが、今回は決して良い策を取れたとは思ってないので、まぁちぇりがなんかやらかしとるわー、くらいな感じで読んでもらえれば。お恥ずかしや。
目算の甘さ
台風が来ることは、もちろん知ってました。しかもかなりの大きさである、と。そしてそれを来ていたと聞いたのは銀座の宿の中。聞けば9月8日夜半から9日朝にかけて東京を通過、昼過ぎにはそこそこ北に抜けるという予測。
電車もバスも、前日から成田空港へのアクセスは朝方まで閉じていたものの、私のフライトは9日の夕刻だったため、午後には交通機関も再開するだろう、という大変甘い読みをしていました。
備えた時にはいつも何でもなかったと言う経験が配慮を曇らす。人生には常にマーフィがつきまとうということを肝に命じるべきでいした。
いや、お前はウォーリーな。すっとぼけた顔してんじゃねえ。
探してる時には、出て来ないくせして、こんな時にひょっこりと。。。
成田まで5時間半のタクシー旅
今回わかったのは、JRなり、普段成田行きに使う他線やバス会社の公式サイトは、あまり役に立たないということ。
ネットの中の玉石混合情報に惑わされず、公式情報をまず基準に、と考えたのですが、公式サイトが繋がらない。繋がっても情報が更新されず先の展望が見えない。
自然相手のことですし、今回の交通機関の麻痺に関して色々言われる方いらっしゃいますが、そして自分を擁護するつもりで言うのではないですが、
人間は自分が窮することを前提に予想は立てにくいものだと思います。
そこを超えて対策を立てて行動するのが賢い人。残念ながら私は今回大変賢くなかったので、甘い目算の元に、当日の8時ごろはホテルで朝ごはん食べてました。
しかしSNS情報によると、電車やバスが一切動く気配がない。各社公式サイトを覗きに行くも、状況変わらず、か、接続不能。これはアテにしていられない、と、タクシーアプリを調べてみると1.5時間から2時間かかって3万円前後という表示。
日程に余裕があれば数日後にチケットを延期して、なるべく空港の負担にならぬ策を取るのがベストと思ったのですが、
・空港の離着陸機能は回復している
・該当航空会社のJALに問い合わせたら、搭乗予定便は飛ぶという
・翌日9月10日までにはホーチミンに着いている必要があった
という条件があったので、背に腹は代えられぬ、と、タクシー行脚を決行。ちなみにレンタカーのシェアライドを募る方もいましたが、知らぬ土地のイレギュラーな環境下で運転するのは得策ではないと思い、私にはタクシー、一択でした。
しかしそれでも目算甘く、かかっても2時間だろうと思っていた道のりは結果的に5時間半にも及び、タクシー運転手さんには多大なるご尽力をいただきました。
実は東京駅に寄り、成田行きタクシーを待つ列に向かって「相乗りして行く人いませんか!」と叫び、3人ほど同乗したのですが、成田に着く前に皆さんリタイヤ。とても目標時間に成田には着けないと判断し、途中で降りて別手段を取るという展開に。
一人車内に残された自分は、改めて直接JALに電話で確認を取りつつ、彼らのいう「その便は飛びます」を前提に諦めず成田を目指しました。なんなら、到着10分前にも電話をつなぎ、チェックイン締め切り時間に間に合わなさそうな事態を告げ、
「その時間に着けるなら何とか待ちます、着いたらカウンターに走ってください!」
という言葉をもらい、待ってくれるんだありがたい、と感謝しながら自分の電話番号も残し、さあ到着したら猛ダッシュするぞ!と、車内でグリグリ足首を回し、伸びをし、キャリーを運びながらの全力疾走に備えていたら…?
事態まさかの急展開
ピロピロピロ。
空港に到着と同時にメールが入る。通知の一部にJALとある。たまたまなんかの広告か?と思ったが念のために見てみると、そこには…?
え。
たった今まで飛ぶから急げと言われていたのに、欠航…?出発予定の7分後に欠航通知…?(遅れが出ているから離陸時間でもまだチェックインを待てると言われていた)
タクシーは一旦手離すと成田からはほぼ拾えない状況となっていたのは聞いていたので、運転手さんをその場に待っててもらって、一応チェックイン・カウンターまで走って行ってスタッフに確認。
はい、自分が乗る予定だった数便前から欠航ですね。。。ワタクシ、航空会社関係のことに明るくないのでわからないのですが、こんなギリギリまで欠航決定、できないものなんですかね。
急変した天候由来ならわからないでもないのですが、離発着環境はできている。聞けば原因はスタッフの確保云々。成田までのアクセスが困難なのは身を以て知っているので、航空会社のスタッフさんも同じであろうとは思うのですが、それ、もっと前にわかってなかった…?10分前に「飛ぶ」」と言ってた=10分前は決断ができてなかったの…?
まぁそこでそんな原因を追求しても仕方ない。飛ばないと決まったものは覆せない。ので、その場でできることがないかを確認してタクシーに戻ったのですが、ああいう場面での航空会社はなかなか非情ということが判明。そう思わせた彼らの指示とは…?
欠航便のリカバリーは全て客がやる
今回だけなのか、これが通例なのかはわかりませんが、航空会社の職員さんに、今後この欠航に関してどういうプロセスが必要なのかと聞きましたら、
・振替便は客が自分で手配するべし・払い戻しの場合の問い合わせも電話でやるべし
とのことでした。その場にいた職員さんは、振替便の手配と払い戻し手続きのための電話番号を配るのみ。(メールはなし)
しかもその日の受付は締め切り、問い合わせは翌朝からのみ。同社の振替便にこだわった人は、ただその場で途方にくれるのみ。しかも振替便は最短でも3日後からしかないと言う。
自分はタクシー内で既にチェックしていた翌朝発の他社便を即確保。払い戻し手続きに期限はないとのことだったので、混乱下での連絡は避けてホーチミンに着いてからすることにしたけど…
普段チケットを取るのが旅行会社さん経由の人とか、国内線以外、LCCなどを使ったことがないという方には、選択肢がかなり狭かっただろうと思われます。その辺をカバーする人員がいなかったであろうことも想像しますが…
旅慣れた人しか安心して旅行ができない、と言う定義では、旅行業界、萎縮の一途だと思うんですよ。サービス提供側・客側双方教育されていかねばならんと思いますが、こう言う時こそ、あの不安げな様子の皆さんに何かできることはなかったか、それができたら随分とイメージが変わったのではなかったか、と、自分が属さない会社のことながら思ってしまった。
災害の混乱時、交通機関の公式ページはアテにならないと書きましたが、航空会社のサポートもアテにできないようです。ある程度、自分で取れる手段、というのは、いくつか考えておかないとですね。。。
成田空港泊
9日に飛び立つつもりで成田空港に向かいつつ、予想だにしなかった渋滞に巻き込まれた時点で間に合わないかもしれない可能性を考えて、別の航空券の手配は念のためにしていたものの、その航空券、翌朝早くのチェックインだったから、もうハナから宿は諦めていた。
そもそも、向かってる途中の情報で、周辺の宿は満杯と聞いた。可能性の低い宿探しに時間を割くより、翌朝までの12時間、限られた環境下で最大限に快適に過ごすという選択肢を採用。
飛べなかった、宿が取れなかった、という、できなかったことに目を向けると気が滅入るので、自分に有利な点を確認。
飲み水は十分にある上(タクシー道中で寄ったコンビニで余分に買ってた)、ドラッグストアには人も並んでいない=追加確保も容易(夕刻時・セブンイレブン、飲食店は長蛇の列)。空港受け取りの宅配便の中には、ホーチミンに持ち帰るための菓子類が豊富に入っている。しかも甘いもの、しょっぱいものの両方だ。食べ物に関しては完璧じゃないか。
ガジェットはどうだ。
タクシー内で携帯の充電は満杯、モバイルバッテリーもフル状態。確実に翌朝までもつ。難を言えばPCバッテリーがフルではないが、空港で後数時間、そして翌朝一番にチェックインしたら(チェックイン・プライオリティを購入済み)ゲートの充電場所で補充だ。そしたら機内でも書き物ができる。
着替えは手元のスーツケースの中。ボディシートを持ち歩いていたので、シャワーと同等、とまでは言わずとも、多少の汗はふきとれる。洗面道具もすぐに使える。
何も、困らない(笑)
もちろん個室=プライバシーがないという点が堪え難い、という方には苦行であろうが、幸いデパーチャーホールには十分なスペースがあり、足も伸ばせる。大きな預け予定荷物が2つもあるので、それで周辺の一辺は閉じられる。秘密基地的ワクワク感がある(笑)
荷物の中には衣類やその他、ホーチミンに持ち帰ろうとした雑貨があって、それらを敷き詰めたら「ちぇりの巣」も作れる。幸い季節は夏。エアコンこそ効いているけど、凍えはしない。
ちなみにJALからパンとお水、寝袋の支給があったが、寝袋は人数分なかったようなので、近くにいたご年配の方にお渡しした。私は発熱体なので(動物並みに体温高い)特に必要というわけでもない。
ただし人間素肌が露出させられるというのは心許なさに通じるものだ。カーゴパンツに着替えていた足元は、靴を脱ぐとむき出しになる。これはシャツで覆って安心確保。
尊敬する人は、マクガイバー。
あるもので、どうにかするのです。手に入れられなかったものではなく、今手にあるものに目を向けて、それを最大限に活用するのです。
もちろんどうともならん場面もあろうが、今回は非常に恵まれていた。どころか、Wi-Fiはあるわエアコン効いてるわ。快適と言って良いレベル。
挙句に夕刻時には混雑を極めていたセブンイレブン、その後は近隣店舗からの配送を受けたか、商品補充も十分になされ、多少欠品の棚はあるものの、食べ物は常にあったようで。。。
夜中の3時半に目覚めた時にはガランとしていた。店員さん、忙しかっただろうに、切らす事なく、湯をポットで沸かしてくれてて、棚にあったカップラーメン、即座に調理ができました。ありがたい。
そういや晩御飯食べてなかった。そして発熱体とはいえ、石のようなタイルの上では多少体も冷えていたので、明け方に食べるカップラーメンの美味しかったことと言ったらなかったよ。背徳の味も加わって。
その上、翌朝には脱出できる手はずが整っている。ホーチミンでの予定に穴を開けなくて良い。何も憂うことは何もない。
デパーチャーホールの一角のちぇりの巣で、そこで明け方にラーメンを啜りつつ、腹を満たして温まりつつ、いつもと変わらずSNSを開いてました。呑気なもんです。みなさんに随分お見舞いいただいたのですが、実はちょっと楽しんでましたw
大変だったのはアライバルの方
飛び立つために成田に向かった側の人は、「どんな大変な過ごし方になっても自己責任」「バカじゃないの」と散々な言われ方。お説ごもっともで、少なくとも私の場合、見通しが甘かったのは間違いなく、どのように受け取られても仕方ないと思ってましたが…
お気の毒だったのは、到着組。
海外にいても情報収集はできたでしょうが、国内にいてもこの体たらく。航空会社が飛ぶと判断したものを、用心を重ねて断れる人も少なかったと思います。
出発組は、そもそも成田に行くのが困難だったからそこで人数が絞られる。旅程自体を諦めた人もあったでしょうし、私の便が出る直前までは飛んでいたので、ホールから人も減っていました。
が、到着組は、世界中から次から次に降りてくる。そして成田から出る手段はない。限られたスペースの中、どんどん溜まって行くのみである。
上の写真は、デパーチャーホールの下にあったアライバルホール。荷物を持ったままでは通り抜けも困難な状態。空調も効いていないに等しい蒸し暑さ。正直自分は邪魔なだけだったので早々に退き、ここにいた方達が成していた列が何を基準にしたものかはわからなかったけど。。。
外にはタクシーやバスを待つ人。朝までは確実に来ないとわかっているのに、立って待つしかないスペースに待機するのは、精神的にも相当お疲れになったろうと思われる。さらにはどんどん後続がくるし。
しかも朝になっても、交通機関の再開は未定。聞こえてきた話だと、アライバルホールでは警備員さんが、座らずに立って待つようにとのガイダンスをしていたんだとか。それに対して「拷問のようだ」という言葉も聞いたが、そうしないとスペースに収まりきれなかったのかもしれない。
こういう時の対応が空港側にもできてなかったし、巻き込まれた側の認識も薄かった。ああいう時にはどう対処すべきか、空港側は用意しておくべきだろうな。今後も同じことが起こらないとはいえないし。(ってか来年ぇ…
ともあれ、メディアで流れていた「成田の大変な状況」の多くは、おそらく到着組のことだったのではないかと推察します。渦中にあったみなさん、お疲れ様でした。
他人のふり見て我がふり直せ
対応ができていなかったといえば、エレベーター。
大きな荷物をお持ちの方や車椅子の方を優先するのは自然にできてしかるべきと思ってましたが、なんと、小さな機内持ち込み用のキャリーとか、ハンドバッグしか持っていない、特に女性のグループ(大勢)が、わざわざエレベーターを使っていて、結果、エレベーター利用頻度が高すぎたためか止まってしまった。。。
ちなみにすぐ近くにはエスカレーターがあり、あの程度の荷物であれば、エスカレーターで移動できたはず。あの何倍もの荷物を引きずってでも、私は移動できたし、他の方もそうされていた。エスカレーターが動いていただけありがたい、という話。
そんな人の中にも、目に見えない案件でエレベーターを利用しなければならぬ人はいたかもしれない。でもあの全員がそうだったとは思い難い。そこまで係の人がついて指導・説得しないと、不要な労力を浪費した上、機能停止に追い込むってことがわからんものかと、全く軽蔑の限りだった。
運ぶ荷物が多すぎて、車椅子の方の力にはあまりなれなかったものの、なんとか航空会社の方を捕まえて、ケアをしてもらうことにした。軽微な荷物を持った集団の半分は止まる直前のエレベーターで下り、半分は悪態をつきながら去って行った。
ああはなりたくないものだ。
譲れるところは譲って、それを活用すべき人に使ってもらった方が、結果、全体の効率は上がると思う。
もちろんもっと追い込まれた状況で、且つ、周りが一切そういう考えに賛同しない人ばかりだったら、一人でイキっても仕方ない。そこはそれで生き抜くために自分も変わらねばならないと思うけど、今回はそうじゃなかった。譲れるゆとりが持てる状況だった。
あの集団と交わることは今後一生ないだろうけど(強くそう願う)あの醜悪な状態から学ばせてもらったことは、大事にしていきたいと思いました。
アライバルの人達が同じフロアに留まった理由が不明
一点、不思議だったのは、それほどぎゅうぎゅう詰めになってたアライバルホールと、デパーチャーホールは普通に階段、エスカレーターで繋がっており、そこを行き来できない、と言うことはありませんでした。
にも関わらず、アライバルホールの到着組はひたすらぎゅうぎゅう詰めのスペースにとどまり、先ほどの写真にあったように、スペースにゆとりがあって涼しいデパーチャーホールには殆ど移動してきませんでした。
翌朝の交通機関の順番を確保したかったのでしょうか。それとも、自分たちが属していない出発組のエリアには入るべきではないと考えたのか。空港の人も誘導はしていなかったので、やってはいけない規則がある?であれば、行き来できる道は閉ざしているだろうしな。
理由は不明ですが、翌日の交通機関事情もどうなるか不明の状態では、過酷な状況を選び続ける理由は薄い。こんな時、旦那さんならすぐ移動して様子を見て、その時点での自分たちにとってより良い方法を見つけるだろうなー、などとぼんやり思ったり。
もしそう言うのが禁止されてるとかであれば、私が知らないだけなので放言ですが。
何が正解だったのか
さて、今回はタクシー3.5万円。新規のチケット3万円(LCC)。払い戻しやその他で殆どがカバーできると思われるが(現在進行中)これに銀座ー成田の自分の時間、5.5時間も加味せねばな。
前提条件として、確実に9月10日中にホーチミンに帰っておく必要があった。これを本気で死守したかったなら、台風進路が被ると分かった時点で、変更不可なチケットは捨てて、大阪にでも飛び、9日で空いてるフライトを取るべきだったか。
そうすれば、かかった経費は大して変わらずとも、「快適な時間」は得られていたかもしれません。
ただギリギリまでってか、10分前まで「あなたの便は飛びますから!」と言われていたのに、その選択肢を取れる程の英断を自分はできませんでした。10万円を、1000円くらいの感覚で使える人には難しくなかったかもですが、私には大きな金額だったんですよ、これ。つまりひと重に自分のスケールの小ささが故、だったかなぁと。
あと、結果「大したことなかったじゃん!」と思うことになったとしても、
災害予報を甘く見てはいけない
という、当たり前のことができてなかった浅はかさ。これは別の場面なら命に関わることになりかねませんね。反省。
大変そうな人がいたら
ことの逐一を旦那さんに報告していたのですが、基本的な行動指針は自分で決めていたものの、それに関わる周辺情報の収集力は、さすがの旦那さん。例えばそういうケースは保険がカバーするから遠慮なくいけとか、こういう規約があるからこういう方法が取れるかもしれないとか。
金額のことなんて関係ない、と言える人ならいいですが、多くの人はロスが大きければ落胆もします。私も、そう。ですが、保証がされるかもしれないと思えば気は楽になるし、そうでなくても腹をくくれる。情報って、解決策を探し出すだけじゃなく、メンタルを安定させるのにも有用。
あと、一切「なんでそんなことしたの」とか、そういうこちらを責めるようなことを一切言わなかった。これ、責める意図はなくても、心配のあまり、つい言ってしまいがちなフレーズだと思うんです。でも、世界一生産性のない言葉なんですよね。
責めたところで事態は変わらないどころか、渦中の人を追い詰めて萎縮させ、判断や行動力を鈍らせるかもしれないマイナスで攻撃的な言葉。もしかしたらもっと良い選択肢があったと思ってたかもしれないけれど、そんなもんは事態が収拾してからあとで反省点として話せばよくて。
うちの旦那さんがそんな非生産的で私を追い詰めるようなことをしない人なのは分かっていたけど、改めてありがたかったな。そして人に強く言いやすい匿名環境にある場合、自分も気をつけないとな、と思いました。
人の生産性を下げる言動は、自分の生産能力がないと言うようなもの
そして各方面のサイトがダウンしてた時、頼りになったのは信頼できる(私の場合は旦那さん)、またはより多くのテキスト情報を集められる術。不特定多数の中から、特定キーワードで情報を絞り込めるツールは持っておくと便利ですね。ネットの情報は玉石混合ではありますが、ある程度の数が集まると「傾向」は見えてくる。
まだ事後対応は残ってますが、ひとまず希望の日程内には戻ってこれて、体調も壊さず、ネタにするだけの気力を維持できてるのは良しとしてます。
あの時成田にいた皆さん、お疲れ様でした。
自然のことは防ぎようがありませんが、今回ことで空港側の対応が改善されたり、旅に出る祭の準備に、不測の事態を組み込むゆとりを持てるようになりたいものです。
2019年9月16日
ちぇり
この記事が面白かった!なんか好き!と思ってくれたら、サポートを是非お願いします。その金額がこの記事の価値。頂いたサポートは、より良い記事を書くための投資にさせてもらいます!