【エッセイ】今日は筆の調子が良いのか悪いのか、という中毒性の高いギャンブル

悲しいぐらい「調子」に左右されている。
8時間パソコンの前で唸っても何も出ないこともあれば、ベロンベロンで帰ってきて一瞬で名文を紡ぎ出すこともある。
そこにどんなジンクスがあるのか、まるで分からない。
たっぷり寝た日よりも一睡もしてない方が上手くいく時もあるし、逆も然り。
つまり自分が今日調子が良いかどうかは、パソコンの前に座ってみないと分からない。
そもそもパソコンの前に座らないなんてのは論外。
どんなに眠くても、BADに入ってても、とりあえずはパソコンの前に座る。
というギャンブルを毎日繰り返している。
当たったらデカい。アイデアと脳汁がとめどなく出てきて、眠るのを忘れる。
外れたら外れたで「まあ今日はそんな感じか」と無理やり溜飲を下げて、潔くシコって寝る。
大切なのは、何も浮かばない日に「自分なんて、、、」とかそういうマインドに陥らないこと。
それは翌日も引きずる。
翌日調子が良かったとしても、腐ったマインドのせいでそれを発揮できなければ本末転倒だ。
「自分の機嫌は自分で取る」とうわ言のように唱えてる人間は嫌いだけど、まあでもそういうことになる。

厄介なのが、途中から調子が上がってくる場合。
ジャグラーで言うと、ハマりを抜けてから急にジャグ連し始める場合だ。
調子が上がるのに越したことはないけど、例えば夜中から作業していて朝になって、ぼちぼちやめようかな、、、というタイミングで凄く調子が上がったりする。
そうなると寝れない。
次の日用事があったりしても「この調子を逃すかッ!!」てなって、寝る間を惜しんで作業してしまう。
次にいつこんな好調が訪れるか、分かったもんじゃないから。
これを一度経験してしまうと、例え調子が悪い日だったとしても、上がってくんじゃね?と思ってその時を待ってしまう。
それで本当に全く調子が上がらなかったりすると、結構死にたくなる。
この点、マジでギャンブル。
その結果、今の生活リズムはZAZEN BOYSの変拍子の曲ぐらい狂っている。
1日起きて1日寝る、みたいになっている。
長生きできる気がしない。
そのうち調子のギャンブルで身を破滅しそうだ。

仮に生活リズムを整えたとしたら、安定した調子が手に入ったりするんだろうか。
考えてはみるけど、やってみようとは思わない。
ここからは誰にも共感されないと思うので別に流してもらって構わないが、生活リズムを整えることに罪悪感を感じる。
「今のお前ごときが置きに行った生活してんじゃねえ」と、もう一人の自分に怒られる感じがする。
生活リズムをバチ狂いさせながら必死に捻り出したものじゃないと、誰かに届かない気がする。
だからわざと、自分を死地に送り込んでいる。
実家暮らしだけど。
そういった考えがこのギャンブルをさらに加速させている。
というか、何より楽しい。
いろんなストレス解消法を試してはみたけど、結局、我を忘れて何かを書いている時が一番心地良い。
今抱えているストレスのほとんどが創作によるものだが、それを打ち消すのもやはり創作でしかない。

だから今日もとりあえず、パソコンという筐体の前に座っている。
派手な演出も保留もないMicrosoft Wordという台は、何より中毒性が高い。
ちなみに今日はマジで渋い日なので、帰りに美味しいラーメンでも食べてトントンにしたいなと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?