【エッセイ】嫌いなところ10個あげるのは楽勝なのに、好きな理由はほとんど見つからない

お世話になっている大先輩に「脚本ってどうやって勉強してましたか?」と聞いたら、
「映画を観たらまず面白かったかつまらなかったかを決めて、その理由を10個書く」と教えてもらった。
今までも観た感想をメモ書き程度にまとめてはいたものの、印象の薄い映画はそれこそ本当にメモ書き程度で終わってしまっていた。
それを必ず「面白い」か「つまらない」に色分けし、その理由を10個必ず探し出す。
そうすると、自分が書く時にこれはやってみよう、これはやらないでおこうというものがだんだん見えてくるらしい。
目から鱗だったので、早速実践してみた。

最初に観た映画は、どうにも面白くなかった。
10個書き出すというノルマを課した状態で鑑賞したからか、つまらない理由がボロボロ出てきた。
楽しかった。
まるで自分が、一丁前の批評家になれた気分だ。
これなら続けられるぞ!と息巻いて観た次の映画は、かなり面白かった。
脳がそれだけ興奮しているのだから、つまらないより理由はポンポン出てくるだろうと思い、ノートに向かう。
か、書けない——!?
つまらない時は1つの理由に5〜6行も費やしていたのに、「あの演技がよかった」「考えさせられた」など小学生並みの感想しか出てこない。
そんなことをしているうち、つまらない映画に当たると「よっしゃ!理由が書ける!!」と変な興奮を憶える体になってしまっていた。
僕は映画文句マシーンへと魔改造されてしまったようだ。
これは一体、どういう現象なんだ?
面白い理由が見つからないことの理由を探すという、マトリョーシカ状態に陥った。

こないだ別の友達と話している時「お前、人を紹介するの下手だよな」と言われ、図星すぎて地味に傷ついた。
その後「お前って、その人の魅力は自分だけが知ってればいいって思ってるじゃん?」と死体撃ちまでされて、「へへ、へへへ」と笑うのが精一杯だった。
確かに、自分の感じている魅力を人に伝えたいと思ったことがあまりない。
魅力を伝えるのは明らかに下手だ。
脚本を書く時も、自分の好きな題材はあまり選ばない。
どちらかというと負の感情、「ケッ!」と思っているものをテーマに選ぶことの方が多い。
かと言って、好きなものを題材にできた方がいいかと言えば、あまりそうとも思わない。
僕は魅力より文句を感じることの方が1億倍多い。
例えば「これに言えるだけ文句を言ってくれ」と言われたら、どんなものでも永遠に文句を言い続けられる自信がある。
僕はそもそも文句マシーンとしてこの世に生を受けている。
だから、ネタが尽きる気がしない。
だが今はそれで良かったとしても、いずれは何かの魅力をストレートに発信しなければならない時が、必ず来るという予感はする。
魅力を伝えられる人間にはなっておきたい。
理由10個書く勉強法は、思ったよりも深い命題を孕んでいたようだ。
俺は必ず、面白い理由10個言える人間になって見せるぜ——。

そう覚悟を決めて10個書いてみたものの、1つの理由を違う言い方で10回書き直しただけになってしまった。
まだまだ道のりは遠い。
ひとつ気付いたことと言えば、自分が文句マシーンであるという強烈な自覚。
逆に言えば、僕以外の人間はそこまで文句マシーンではないということ。
きっと、好きな理由を教えてくれと言ったら、10個とはいかないまでも、大体みんな答えられるはず。
そう考えると、世界がちょっとだけ優しく見える気がする。
僕以外の人間は、大体みんな優しい。

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