見出し画像

退院の日

10月19日 父親が退院する。

父親の退院は、積極的な意味を持っていなかった。「現代の医学では治せない病気だと分かったので、これ以上病院にいても仕方がありません。ですので退院してご家族の時間を作ってください。」という意味での退院だ。つまり、消極的な退院だった。父親はこの退院の意味を理解していたと思う。症状は日に日に悪化していくばかりだし、治療も何もしていないのに突然退院することになったのだから当たり前だ。

それでも、病院を出て外の空気を吸うというのは、とても嬉しかったらしい。近所のスーパーでは知人に見られる可能性があるので、遠くのスーパーに行こうと誘えば、喜んで車いすに乗って一緒に行きたいと意思表示をしてくれた。さらに、ラーメンを食べたいだとか、ペットショップに行きたいだとか、甥っ子の仕事ぶりを見に職場に行きたいだとか、色々と一生懸命伝えようとしてくれた。現状、父親からの発言では単語が言えればいい方だし、ぼーっとしていることが増えてきたので、私が頷かせてしまった部分もあるだろうが、頷くときはしっかりと私の目を見て、何度も何度も「行きたい」と意思表示してくれた。

家に帰ると、病院より動作に時間がかかる。だいたい、二倍の時間がかかるので、歯磨きに20分、トイレに30分、入浴には1時間かかる。朝ごはんを食べて歯磨きをして身支度を整えるのにも2時間はかかるので、一日の日常の動作にかける時間は、トータルで6時間~7時間に及ぶ。症状が進行すれば、もっと時間が必要になってくるだろう。

夕食の時間は、とても楽しかった。たこ焼きを皆で作って、ひっくり返して食べた。父親は小食になっていたが、それでも病院にいた時よりはたくさん食べて、顔色も良くなっていた。利き手である右手の麻痺と不随意運動、ミオクローヌスが食事の動作を妨げるが、いくらかは自由な左手でフォークを使って、たこ焼きを7個ぐらい食べた。おいしそうによく噛んで食べていた。昼に台湾まぜそばも食べたし、入院中に控えた塩分摂取量を一気に台無しにするような、味の濃いものばかりを食べた一日だった。父親は満足そうだった。

もう一つ、父親が入院中にどうしてもできなかったことがあった。入浴だ。入院していた病院では、患者が湯船に入ることはできなかった。シャワーのみが許可されていて、父親はずっと浴槽に入りたかったようだ。今日、妹と二人で父親を湯船につからせた。久しぶりの湯船はやはり気持ちよかったみたいで、指の先がふやけても、こちらが「出ようか」と言うまでずっと浸かっていた。

昨日私が心配していた行き過ぎた家の改装問題は、父親自身はそれほど気にしていないようだった。それか、だいぶ家が改装されているのに気付いているが、病気のことを知って仕方がないと思い、気にしないふりをしていたか。どちらにせよ、やはり父親がこの家で安全に暮らすためには必要のあったものだったと分かった。介護用品であふれていても、今日の我が家は、笑いが絶えず幸せだった。

医者は、1か月自宅で介護ができれば良い方、と言っていた。でも、だからなんだ?父親も私自身も、こんな楽しい時間が過ごせるなら、2か月でも3か月でも一緒に生活してやる。医者の目安は、一般の家庭での目安だろう。なら、幸せな家庭では?父親が作れなかった幸せな家庭は、今父親のおかげで作られている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?