「要介護5」に対して家族ができること

11月26日 父親のためにできることが極端に減ったことに気付く。

10月半ばに受けた要介護認定調査を受けた時点では、要介護2の状態だった父親は、11月に入った時点ではすでに要介護5の状態まで進行していた。認知機能が低下し、食事や排泄などにおいて介助が必要な場合が要介護2、完全に寝たきりの状態が要介護5だ。

要介護認定とは、認知機能・運動機能・日常の生活動作などにおいて、どの程度の介護が必要かをランク付けする制度で、このランクによって受けられるサービスや支給限度額が変わってくる。

クロイツフェルト・ヤコブ病の場合、急速に進む認知症が主な症状だ。そのため、最初の認定調査では明らかに要介護2の段階にいた父親も、それまでの異常に早く進んだ病歴を加味されて、先読んで要介護4の認定が降りていた。

というのも、認定調査会を経てはじめて患者の元に「介護保険被保険者証」が届くのだが、この認定調査会は月に一度しか行われず、一ヶ月後に蓋を開けてみたら患者がまったく違う状態だった、という特殊なケースがあるからだ。今回は、特殊中のきわめて特殊な例だった。実際、認定調査会が終わり、被保険者証が届いた今、父親の状態は要介護5の段階まで進行した。先読みでも、現実に追いつけなかったのだ。認定調査はいつでも受け直すことができるので、近々また調査員が来ることになるだろう。

さて、要介護5までくると、大抵施設に全てを任せることが勧められる。私たちもそうだった。結果、父親も施設に入居することになった。ここまで来ると、私たち家族にできることは、ほとんど何もないからだ。

顔を見せることが一番なんじゃないか、と思う。後は蒸しタオルで顔を拭いたり、使い方を覚えて吸引器で痰を吸引したり、口腔スポンジでこまめに口内を掃除したり、カテーテルのバッグに溜まった尿を処理したり、そのへんしか素人にできることはない。

特に父親の場合、体が大きく体重もそこそこあるし、筋肉の不随運動により全身に力が入っているので、姿勢が崩れた時にまっすぐに直すこともままならない。介護士や看護師など、しっかりとノウハウを学んできた人の力が必要不可欠だし、私たちがあれこれ試行錯誤するより本人にとっても負担が少ない。

「本人の負担」というものには、体だけでなく心の負担も入っている。娘の私が、まず頭を動かし、反射で上がった手に殴られ、痛みをこらえながら次は胴体を動かすが、反動でまた頭が元の位置に戻り、次は足を動かしてみようとするが、力が入って全く動かず、上がった足に蹴られて痛い思いをし...こんなことを10分もわちゃわちゃと自分の周りでやられれば、本人は確実にショックを受ける。体をまっすぐにしたいのは、本人も一緒なのだ。

こういう時、男性の介護士だったら一人の力で一瞬で仕事を終わらせてしまう。施設にいる背が高くて若い男性の介護士は、お姫様抱っこをする要領で父親を軽々持ち上げ、車椅子にも乗せてくれるし、風呂にも入れてくれる。

実は、父親は私たちの前でよりも、介護士たちの前でよく笑う。それは、「今家族に迷惑をかけていない」と、本当に安心してリラックスしているからかもしれないし、他人だから愛想良くしようと気遣っているからかもしれない。

だから、父親のために何もできなくても、笑顔を引き出すことができなくても、「だからなんだ」と思うことにした。側にいるだけで、孤独だった時間を埋めることはできる。それは、介護を知り尽くした介護士ではなくて、娘の私だけが成せることだ。

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