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新型コロナ:最強の教科書(笑)登場

小林よしのり氏の、社会問題解説マンガは大好きで、その大半を購入してきました。いつもの問題なら(グローバル化、原子力行政、安保法制、歴史認識等)半分くらいの意見しか合いませんが、それでも彼の表現力や勉強量には敬服させられています。しかし本書の新型コロナについては、9割近く、僕との意見が一致しました。
冒頭画像は、書籍第三刷の表紙を借用しました。リンクはこちら

分からないから、「怖い、ヤバい」

この問題について、僕自身は当初から、テレビに出てくる感染症専門家の説明に納得いかず、自分で色々勉強し始めました。この点で小林氏と同じです。奇しくも、感染症専門家のお一人も自戒をこめて「自分たちの領域(感染学)なので(すが)、今まで何をやってきたのか(と情けなくなります)」とつぶやきました。彼もが嘆く、テレビの「専門家」たちのコメントは、「まだ分かっていませんが、非常に怖い感染症です」と連呼するばかり。中には、日本の実情を無視して、煽る専門家もいました。「煽り」の一人はちゃっかり芸能プロダクションと契約して、長期にわたるメディア活動を計画していたのだそうです。笑止千万です。

たまたま生活圏が中国だった僕は、コロナ分析について今年の1月から始めていました。中国語圏の膨大な情報は非常に有益でした。それに加えて、歴史的な事実、ウイルス研究の書籍、そして現在公開されている新型コロナ関連の情報を収集しながら整理し、小林氏の導いた結論は極めて秀逸だと感じた次第です。

一部の仮説が独り歩きする怖さ

感染症の数理モデルで第一人者とされる西浦教授が、驚くべき数字を発したのは4月でした。「42万人が死亡」。政府が緊急事態宣言を発したことで調子に乗り、踏み込んだ発言をしたわけです。これを聞いた僕は「やっちゃった~」と思いました。その後の経過を振り返った時、それがいかに空虚な数字だったか、言うまでもないでしょう。研究の場では、どのように議論しても構いません。たとえば、小惑星が地球に衝突する可能性の最大値だとか、30年以内に南海トラフの巨大地震が発生する確率がゼロではないだとか、それこそ自由闊達に議論すればいいわけです。なぜなら研究の場では反対論が常に出て、バランスを取るからです。しかし、あたかも政府発表のような誤解を招く形式で、独断専行した姿は、メディアの不見識な拡散もあり、無用な不安を日本全国に広げる事態となってしまいました。

おそらく、テレビにおける「煽り」の専門家たちや西浦教授は、不安を煽るだけ煽って、そうならなかったら「良かったじゃないですか」と開き直るつもりなのでしょう。案の定、煽りのワイドショーを率いる連中は、視聴率が稼げたことで勢いづいています。足元では、多くの企業が自粛を強いられ、資金ショートや廃業を迫られる情況を生んでしまったにも関わらず、です。政府がいくらでもカネを刷ればいいとでも思っているのでしょうか。

感染者数とは検査陽性者数、この違いに気づけ

感染数について、実際のデータを見てみましょう。みんながいつも見ているグラフと異なるとは思いますが、いかに検査数が増え、検査陽性者数(必ずしも感染者数ではない)を引き上げているのかがよく分かります。しかも検査の質は大きく変容しており、無症状でも積極検査を行っていました。これがいわゆる「攻めの検査」です。出そうなところを検査していくと、予想を越えて「出るわ出るわ」、と関係者もびっくりするくらいの感染者数でした。あると思って調べたら、本当にあった。それに自分で驚いているのですから、滑稽この上ない情況です。

もちろん、僕にとっては意外ではありません。4月末には潜在的な感染者数が6~9万人いても不思議ではないと発言していました。その数字は新型コロナの死亡率から逆算できます。それらが単に表に出てきただけのことです。コメンテーターが、何をいまさら「第二波」とわめているのか、個人的には呆れて聞いています。第二波どころか、今の「感染者数」の増減は、検査の情況と完全にリンクしているのです。

中国の統計は意外と役立つ

僕が注目しているのは、中国のデータです。いまだに、中国の数字は信用できないと言う声がありますが、隠す理由がなくなった時の中国の統計はそれほどおかしくないと思います。しかも初動対応の誤りは、今日の中国政府も認めているところです。新型ウイルスが最初に確認されたという武漢市(1100万人が居住)、その武漢市が含まれる湖北省(人口5800万人)、そしてそれ以外の中国全土に分けて考えてみたいのですが、僕が注目しているのは「それ以外の中国全土」です。人口13~14億人の中国で、湖北省ひとつ分は誤差の範囲でしょう。この圧倒的に広い中国全土で、湖北省の封鎖にほぼ成功し、他の地域での感染者数を2.2万人に止めました。死亡者数は日本のわずか2割程度です。中国に「攻めの検査」という手法はないみたいですが、怪しい症状が見つかるとすぐさまその周囲を調査します。理想的なクラスター対策です。それもあって、彼らは経済活動を完全に戻しました。クラスターをやるならこれくらいが当然であり、僕は、日本でも、プライバシーにある程度踏み込むべきだと思います。湖北省を除いた中国では致死率が1%程度。これが、日本で潜在感染者数を考える時の目安にしている数字です。
【武漢】
感染者数:50,340人
死亡者数: 3,869人
【その他湖北省(武漢以外)】
感染者数:17,799人
死亡者数: 643人
【その他中国全土(湖北省以外)】
感染者数:22,212人
死亡者数: 216人

日本に重症者・死亡者が少ない理由

ワイドショーに引っ張りダコな感染症学者ほど「頓珍漢」だと見ています(不安を煽るために呼ばれている)が、ビジネス雑誌には冷静な情報発信を続けてくれる学者が登場します。おそらく、バランスを図ろうとする編集側の意図でしょう。その中でも一考に値する研究者のお一人が、高橋泰教授です。バカなメディアがごちゃごちゃにしている「感染者数」を、検査陽性者数と正しく言い換えました。PCR検査とはそもそもが精度の低い検査です。陽性反応が出たとしても間違えてしまう場合(偽陽性)もあれば、感染にまで至っていない(暴露状態の)人を「陽性」に分類してしまう場合も増えています。さらに、感染しても人に移さない場合が多いのも新型コロナの特徴だと言えます。「無症状者が多い」のは、僕たちの体が、新型コロナを危険ウイルスと判定していない(毒性が弱い)からです。つまり、ここでも、検査の内容が大きな誤解をもたらしているのです。それをクソミソ一緒に計算してしまえば、42万人死亡するとなってしまいます。科学的な見識とは、その前提が正しくなければ成り立たず、また現実と乖離して議論をしても意味がありません。テレビで、芸能コメントを発している感染症専門家を見ると、もっとしっかり自分の専門領域をやれよと言いたくなります。

経済対策と感染症対策の両立

感染症対策とは、その毒性によって最優先事項か否かを決めればいいものです。なぜなら、対策とは(究極的には)経済活動を止めるしかないからです。水際対策であれ、ロックダウン(営業自粛要請)であれ、人の自由な行動を規制したり、身柄を拘束したりするため、人権にも関わる非常に強い規制になります。あまりに影響が大きいため、本来なら慎重に進めなければなりません。しかし日本では、あろうことか、政府の強権発動を、メディアが騒ぎ、(コロナ脳に犯された)国民が望みました。挙げ句の果てには、「政府がやならないなら俺たちがやる」と、自粛警察まで各地に生んでしまいました。それを扇動した政治家の一人が、小池都知事です。ことさらに「怖い、ヤバい」を強調する専門家をわざわざ招聘しました。そのメッセージの後に、海外の悲惨な情況が連日映像で流されてしまうと、多くの人は分別がつかなくなってしまいます。小林よしのり氏は、そうした(コロナ脳の)人々を「PCR真理教」と巧みな命名をしました。そして一部の専門家やコメンテーターが、狂ったような論(命対経済という誤った対立構図を作った)を公共電波で広めた、それはもはや「大罪」である、と同氏は断言しています。混乱を広める元凶;PCRをさらに広めて、感染者をあぶり出せ、社会から隔離しろというのもコロナ脳の人々です。「命を守るために社会活動を止めろ」と騒いでいる姿は、戦前に満州が日本の生命線と絶叫していた連中の姿に重なります。

本当の専門家がなすべきこと

敢えて釘を差しておきますが、感染症対策を不要と言っているのではありません。その理想形は、中国共産党のやり方です。軍隊を出動させてでも強力なロックダウンを行い、人々の移動を完全監視下に置きました。WHOの事務局長が中国を称賛したのは決して間違いではありません。残念なのは、その初動で、医療現場の真摯な声を握りつぶしたことです。どこかの国のような「バカメディアの暴走」を許さないという中国行政当局の対応が裏目に出た事例です。これはこれで、うんざりする醜態ですね。他国のことはさておき、もしもそれが毒性の高いウイルスであれば、日本でも毅然とした対応をすべきだと思います。問題はそのリスク評価です。本来なら、ここに専門家の知見が必要でした。「怖い、ヤバい」と言うだけの専門家は百害あって一利なしです。実際、これまでの日本は様々なリスクと向き合い、見事な共存を図ってきました。自動車と交通事故、生活習慣病と健康診断、地震と防災訓練、台風と治水対策、インフルエンザと保健所。たとえ年間の交通事故死がもっと増えても、おそらく自動車の通行を規制しようとは誰も言わないでしょう。ところが、今回の新型コロナでは、このワイドショーレベルの「専門家」がひどかったようです。素人並みのことしか言わない。小林氏に「コロナ脳」と形容されてもやむを得ないでしょう。彼・彼女の発言録は、小林氏の書籍にも掲載されています。冷静な頭で文字を見れば、健康食品の騙しCMかと思えるはずです。

今回の新型コロナ対応は、科学テロに近い

科学の知見というものは、学者によって大きな隔たりがあります。それは決して悪いことではありません。科学の世界で、科学のルールで喧々諤々やっていただければいいのです。誰が正しいのかなんて、その時点では分からないのですから。しかし、政治・政策となったら話は別です。自粛風潮によって何十万の人々の収入がなくなり、メディアの視聴率稼ぎのために、真面目に働いていた人たちが廃業や失業に追い込まれかけています。ステイホームで無理やり楽しさを演出しているビデオが広まった時期には、僕自身も怒りを感じました。人からしか伝染らない、しかも飛沫が主たる要因であるにも関わらず、何ゆえ外出ができないのか。当時日本に戻っていた僕も、静かな山奥の河原に行きましたが、いつもの接客小屋が閉じられていました。山中の大自然に囲まれた田舎でさえ、ステイホームなのだそうです。あまりにも乱暴な規制。その一方、都会では、クラスターが発生していなかったパチンコ店が批判の矢面に晒されました。狂った正義がまかり通る不幸な時代が、この令和の世の中でも再現されたことに、大いな失望を抱きました。

僕らはウイルスのことを知らなさすぎる

そもそもウイルスは、生命史の中で切っても切り離せないもののようです。誤解を恐れずに言えば、ウイルスは生命になりそこなった異物として、至るところに転がっている物質です。それらが生物間をウロウロしつつ、それぞれの遺伝子情報に影響を与えている可能性があります。もし垂直型の遺伝子伝達のみであれば、生命はこれほど様々に進化していなかったかもしれません。確かに、生命個体で見れば、ウイルスは時として宿主に病気や死をもたらすかもしれません。ただ、毒性が弱いものについては、常に人の体に出入りしているものなのです。ウイルス=悪という偏見をもっている方は、もう少し教養を身に着けておくべきだと思います。本稿の末尾には、僕が書いたウイルス入門を添えておきます。

古来より、中国経済圏に位置していた島国・日本にとって、中国由来の様々なウイルスには、抵抗力や免疫記憶があったのかもしれません。また、日本社会の衛生習慣や医療体制も、新型コロナの拡散を防いだ可能性があります。欧米で1ずつ増えていく感染症が、日本ではそれぞれの段階で半分だった(0.5)としたら、それを5回掛けただけで「0.03」になります。すなわち、欧米の100分の3です。キスやハグをしない、(花粉症対策として)マスクをしていた、手洗いを頻繁にする、向き合って大声で話をしない、病院・高齢者施設の管理がしっかりしているなど。これだけでも5つになります。このロジックで考えるなら、感染者が二桁くらい違っても不思議ではないでしょう。

キチガイの政治リーダーとは違う

最後に、「経済を回せ」と主張すると、アメリカのトランプ大統領やブラジルのボルソナロ大統領と同じ意見だと思われますが、それは違います。アメリカの新型コロナ死亡者数18万人、ブラジル同12万人弱(厚生労働省集計:nippon.com)。両国だけが圧倒的に突出しているのは、明らかに政権の政策が反映した数字です。三位のインドは人口が多いため、おそらく両国を猛追するでしょうが、四位のロシアは強権国家なので収まってくるはずです。トランプ氏は当初、新型コロナを怖くないと軽視していました。中国に同情すらしていたのです。自身も途中まではマスクの着用を否定していました。ところが、情況がひどくなるにつれ、中国に騙されたと言い始めました。そんな彼の醜態は、ユニークなマンガになっています。フェークニュースの発信源である彼には、一日も早く、退任してもらいたいものです。下記サイト(newsday)にはたくさんの皮肉マンガが紹介されています。

では、アメリカ・トランプと僕らの主張は何が違うのでしょう。それは、「個々人が最大限に注意をしながら」、経済を抑制しないというものです。特に日本人には、自己主張を控えて、周囲を思いやる社会通念があります。これは時に同調圧力として非難されるものですが、感染症対策には有効です。個々人は注意する。人に迷惑をかけない。重症化する対象を重点的に守る。それが正しく恐れるということです。狂ったコロナ脳の人々や、不安報道で己を利するメディア、そして「PCR真理教」の専門家たちに騙されない基本認識を、僕ら自身が持っておきたいものです。これをリテラシーと言います。コロナ狂騒曲は、確かにメディアが悪いのですが、自戒の念をこめて言えば、「アホ」な国民(視聴者)側にも責任の一端があります。新型コロナがなぜ怖いのか、周囲の方に尋ねてみてください。「ニューヨークであれだけ死んだし、怖くないわけがない」と答えるのが精一杯かもしれません。小林よしのり氏の表現はどぎついですが、この問題の基本を知り、本質を捉えるためには最適の書です。ぜひ一読をお薦めします。ちなみに、僕と彼との違いは、グローバル化についての見識です。ここは180度異なりますが、本テーマはそれ以外の点でぴったり一致しました。

以下、過去に書いたことがある文書へのリンクです。


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