正倉院展

答えのない問いを、考え続けられる力

教養とは、知識偏重の状態に警鐘を鳴らし、情報を取捨選択しながら結びつけて、答えのない問いを考える力のことです。ちょっと難しく言い過ぎました。簡単に言えば、教養とは、答えを出さずに考える技術のことです。もう少し、僕なりの定義を加えましょう。答えが決まっていること、何かの定義や法則になっていること。それは知識と呼ばれます。その知識を組み合わせて、あなたが何かを伝えようとする時、立場や意見、背景のまったく異なる方々と話し合う力を「教養」と呼ぶのだと思います。
※冒頭画像は、以下本文中で示す天平文化の一例です。リンクあり。

知識の組合せを生み出せる力:教養

どう言い換えたとしても、複雑ですね。ではなぜ、教養という言葉の定義は難しいのでしょうか。それは人によって定義が変わってしまうからです。教養に関する本が最近たくさん出てきたのは、象徴的です。僕の定義は、すでに書きましたが、結論が出ていない事柄を、考え続けられる力のことです。誰もがインターネットに頼り、あらゆる情報を瞬時に引き出せるようになりました。ゆえに大切な力は真贋の鑑定であり、それを判断するための情報や知識の組み合わせができるか否かです。そんな取っつきにくいテーマを、ほぼ全ページイラストで解説している本書は素晴らしいです。9つのテーマを目次で選んでおり、人類の歩みを振り返っています。ここでは、『文化』から見ていきましょう。

目立たないことでも重要なことはある

歴史の授業で面白いのは、戦争で誰が買った負けたという物語です。大河ドラマでも、半分以上は戦国時代の話ですね。逆につまらないのは、それぞれの時代ごとに付帯している「~文化」の解説です。おそらく、物語がなくて、ただの暗記コーナーになっているからでしょう。文化とは、ある時代に、ある地域の人々(集団)が共通してもつ意識や行為、習慣や創作物を指します。当該集団に、共通性がなければ文化とは呼びません。たとえば、目立たない例を挙げると、奈良時代の「天平文化」。本書に掲載されている内容ではありませんが、一般の教科書的には、
1)仏教を基礎に、
2)様々な海外の文化を受け入れ(国際性豊か)、
3)律令国家の成立を反映させたもので、
4)建築などの技術も積極的に刷新された時代です。

奈良時代の一時期が、日本の基礎を定めた?

この天平文化を、教養的に読み直してみましょう。
1)なぜ仏教を重視する必要があったのでしょう。もともと仏教の伝来は、日本人が初めて学んだ、当時最高峰の体系化された教養だったと思います。この世の中がどうなっているのか、当時の知識人はむさぼるように学びました。しかし、海外との交流は、病気も一緒にもたらします。天然痘が日本で大流行したのです。それが奈良時代。人々は次々に死に、治安が不安定になりました。何かにすがり、信じさせることで、反乱や反政府活動を抑えようとした。それが、天皇(政権側)をして鎮護国家の概念を掲げ、仏教に傾倒し、平和を維持せしめんとした動機です。これは、人類とウイルスとの闘いでもあったのです。
2)最先進国・唐に学ぼうとしたのは、戦後の日本がアメリカに学んだことと同じでしょう。唐は中国王朝の中でも、西域と密接なやりとりをした国際的な政権です。必然的に、日本にはギリシアやペルシアなどの様々な文物が届けられました。おそらく、当時の日本人にとって、中国本土固有のものと、西域の文物との違いまでは意識されなかったでしょう。それを正倉院に収めたのは、この時代の人々に「宝物を愛でる」という態度が生まれたことを示唆します。未知の文化を認め、興味を抱き、それをそのままに(尊重して)学び続けようとしたのはまさに教養的姿勢です。

3)律令とは、決まりのことです。人々の生活に文字の「決まり」がなかった時代から、ある時代への変化が起こったことです。律とは罰、令とは政治、すなわち人が文字情報の約束ごとをもとに、誰かに命令したり、誰かを罰したりするようになったのです。その約束ごとを交わせる間柄の人たちが貴族です。貴族に、最低限の教養を身に付けさせる時代が始まったと言えます。この時代に日本書紀や万葉集が編纂されたのは必然だったでしょう。文字での決まり作りや、これまでの歴史の総括、そして作品(短歌)の収集などが国家主導で一気に行われました。
4)国家主導と言えば、日本全国にお寺を建設して回った巨大公共事業の影響も無視できません。国の権力権威をともに日本中に広げ、かつ建築技術も地方に行き渡らせました。古代の産業政策とはすべて国が担ったわけですが、奈良時代の天平文化とは、ソフトとハードとをそろえ、ダイナミックな変化を多くの人々に浸透させた、かなり面白い時代だったようです。

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今日の最重要課題「自由」についても考えてみよう

もうひとつ。本書の内容から、権力と自由について考えてみましょう。権力とは、誰かが誰かを支配する力のことです。一見、恐ろしい言葉ですが、それを制限付きで用いているのが今日の権限です。社会をまとめ、運営するとは、こうした権力や権限が必要になってきます。そこから一定程度、逃れるルール「自由」を決めようと言い出したのが近代です。昔にはなかった過激な概念ですが、権力者の制約や束縛を制限させるための動きでした。欧米人はこの「自由」を、激しい闘争の末、実現させたのですが、日本人は、お上から与えるという形式で「自由」を広めました。誤解を恐れずに言えば、日本人は自由の意味をよく考えず、勝手な解釈をしてしまうようです。「自由」には副作用があり、時に、他人の負担を増やし、社会に迷惑をかけ、迷子になってしまう人々(格差や秩序から取り残されたい人々)を多数生み出しました。経済的自由、国民的対立、格差の暴走、そして全体主義という反動。これらの副作用は、人類に、悲惨な爪痕を残しました。二度の世界大戦が起こった頃の時代背景は、帝国の植民地争奪戦という表層的な意味だけでなく、一部の人間の自由を持て余した結果でもあったのです。そう考えてみると、なぜ、現代社会が、国家権力を使って、個々の自由を制御しようとしているかが分かると思います。冷戦期があった(日米欧の西側諸国が共産主義と対立した期間、西側は自由世界の重要さを強調した)ため、僕たち自身も気づきにくくなっていますが、現代とは、「自由」という過激な概念をいかにコントロールするかで苦心している時代でもあるのです。

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最後に。学びとはまさに教養を身につける第一歩目だと思います。文中には本書から二つのページを引用してあります。自分で考えるためにも、本書のようなイラスト・短文・余白いっぱいの書籍で、じっくりご自身の思考力を深耕してみるのもいいでしょう。

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