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感染症は常に世界を左右した

人類と感染症との出会いは、家畜である。犬だけでなく、牛や豚、馬やラクダ、そして鶏など、その種類がどんどん増えて、リスクを高めた。また、定住生活が(余剰食糧の備蓄を始めるようになり)、ネズミや蚊など、好まざるモノたちを呼び寄せることになる。これらもまた感染症の運び屋だ。

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上記画像は、NHK健康からの引用である。強い感染力を持つ「はしか(麻疹)」の症状と感染経路、予防接種について解説されている。

僕たちに馴染みのある麻疹は、代表的な感染症のひとつだ。ウイルス感染である。「ハシカ」とも呼ばれ、感染力は強く、発症力は100%だ。ただ一度免疫を獲得すると、終生これにかからなくなる。はるか昔の、古代メソポタミア文明でも、麻疹に悩まされていた。

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上記画像は、doliNOTEからの引用。イラストとともに、獣医等の知見・知識が整理されているサイトだ。リンク先はマラリアの情報がまとまっている

古代エジプトで広く流行したマラリア。蚊がその原虫を媒介する。ミイラから原虫のDNAが見つかった。また、この感染症は、インダス文明にも深刻な問題となっていた。インドのカースト制度は、感染症にかかりやすい層から、上流階級を守るために定められた交流抑制策だと言われる。

※冒頭画像は、AFPの記事からの借用である。中世以降の人類は、ようやく感染症に対する措置を考えていくようになる。さて本稿の参考図書(下記)をもとに、世界史的観点で感染症を考えてみたい。


古代から感染症に悩まされてきた

古代エジプトでのミイラ作りは、多くの感染症、結核・ハンセン病・ポリオ・天然痘・マラリア・トキソプラズマなどの痕跡を見事に保存した。しかし、こうした古代には、感染症に抗う知識や認識もなく、神に祈るしか方法がなかった。古代ギリシアもまた、感染症について記録には留めているが、いざ蔓延してしまうと、まったくなすすべがなかった。

【感染爆発の起こったアテナイ】(詳しくはリンク先参照)
歴史家トゥキュディデスが記録している。(下記、一部省略))
1)デマの拡散:
敵国が貯水池に毒を入れた、神が敵国の味方となりアテナイを罰すると予言があった、等々。
2)医療崩壊:
患者から医師・看病人へと感染・・・「近づけば感染する」という恐怖から、患者は・・・孤独の内に死に絶えました。
3)指導者の感染:アテナイの政治を強力なリーダーシップで牽引していた将軍ペリクレスが、罹病して亡くなりました。
4)モラル崩壊:あらゆる神々への信仰心が消え失せ・・・葬式も行われなくなり、親族の遺体がゴミ同然に燃やされ・・・人々は「今だけ楽しもう」と極度の快楽主義・刹那主義に走る・・・


感染症と言えば、暗黒の中世を象徴するペスト。実はこれ、中国起源だと言われている。遺伝子配列をたどり共通の祖先を調べた結果だ。漢の時代、ネズミを媒介し、シルクロードを通って、はるか遠くのヨーロッパに伝播した。東ローマ帝国でその記録を見ることができる。感染症とは、都市に育まれ、人によって広まってしまうのだ。

8世紀、日本では天然痘が流行し始めた。奈良時代には100万人以上の死亡者を出した。当時の人口の3割にあたる。聖武天皇は悲惨な疫病に心を痛め、東大寺と大仏を建造、さらに全国に国分寺を建立した。祈るしか方法がなかった。

ハンセン病は十字軍によって広まった。バルカン半島辺りからヨーロッパにもたらされたという。この病は皮膚などの外見に大きな影響を与えてしまい、様々な差別を引き起こした。ハンセン病患者は結婚や相続を禁止され、都市からも追放となった。人々の偏見は非常に根深いものである。


なぜ、中世の感染症は、壊滅的な被害を与えたのか

世界的に流行した感染症と言えば「黒死病(ペスト)」。14世紀、世界人口が5億人に届かない時代、1億人の命を奪ってしまった。ネズミを媒介し、人へも感染。致死率は非常に高かった。この病が前代未聞の悲劇を生んだ背景には、人口の都市集中という人類の新たな生活形態があった。都市では衛生状況が悪化しやすく、人口密度も高い。不衛生はネズミが大量繁殖してしまう。ペストが広まりやすい条件をいくつもそろえてしまった。

ちなみにそのペストは、中国で500万人もの死者を出した後、あのモンゴル帝国によって西方に次々と伝播。ヨーロッパでは人口の60%もの命が奪れた。大量の農民がいなくなってしまったため、荘園領主は没落。その後、土地を接収した王権が強化され、絶対王政の時代へとつながっていく。新たな歴史のうねりを作り出したのは、ペストだった。


昔の感染症は、爆発的に広まったあと、(おそらく集団免疫によって)自然に沈静化していた。しかし、感染症は変異する。人の免疫もやがては低下。よって、ペストなどは繰り返し広まった。

17世紀中期、ロンドンで起こった大流行。あのアイザック・ニュートンはロンドンにいられなくなってしまった。死者数はおそらく10万人以上だったと言われている。この状況は、様々な人によって書き残されており、ペストと戦った人類の貴重な記録でもある。ロックダウンが行われながら、社会の組織的な生活バックアップはなく、自宅に閉じ込められた人々は生死の境をさまよった。このとき、相互不信が募ったり、治安が悪化したり、デマが広まったり、と人の悪い一面があからさまになる。古代ギリシアと近代イギリスの惨劇は非常に酷似している。


感染症は国を滅ぼし、政権を転覆させる

歴史を変えたという点では、ヨーロッパ人が持ち込んだ天然痘によって、アステカ王国(メキシコ)やインカ帝国(ペルー)が崩壊している。

のちの、ヨーロッパの植民地政策も、再び感染症の流行を招いている。そのひとつが黄熱病だ。アフリカ起源の病が奴隷貿易によって南米に持ち込まれた。免疫をもたない原住民は、天然痘のときと同様、大量の死亡者を出した。

その逆もあった。梅毒である。細菌による性感染症。ヨーロッパに逆輸入された性病は、ルネサンス真っ只中の時代。人々の自由な性生活の中でどんどん広まってしまった。


感染症が絶望的な大流行に至るとき、戦争との関わりが影を落とす。軍が遠征し、軍人たちの免疫力が低下、かつ新しい人々と不衛生な環境で交わる。たとえば、ナポレオンのロシア遠征失敗には、発疹チフスの流行があったようだ。建物を焼き払って撤退するロシア軍の焦土戦術に、ナポレオン軍は厳冬のロシアで野宿を強いられた。戦闘での死者10万人に対して、凍死と病死の犠牲者は22万人。見えない敵が、ナポレオンの天下を終焉させた。


感染症に対する科学的なアプローチが始まる

コレラの場合、インドや中東に爆発的に広まった。コレラはガンジス川流域が発生源とされている。汚れた水や食物が原因だ。しかし、現地での昔ながらの流行であれば、被害範囲は限定的だった。それが世界中に拡大し、パンデミックに至った理由はたったひとつ。国際間の人の移動が(大航海時代以降)圧倒的に活発になったからだ。媒介者は当時の世界帝国・イギリスだ。

インド発のコレラは、当然、宗主国であるイギリスでも大流行する。感染者の半数が死ぬという深刻な病だった。18~19世紀にかけて、イギリスでは産業革命が進行し、都市では劣悪な労働環境が出現した。前半はそこに結核が、後半はインドからのコレラが襲いかかった。

この頃になると徐々に科学的な分析がなされるようになる。コレラの感染者が、テムズ川を水源とする利用者に集中していたことから、感染源がポンプ井戸であることが判明。のちには、顕微鏡によってコレラ菌も見つかった。

科学的とは、疫学のことである。当時、感染者が見つかった地域をマップに落とし込み、クラスターを特定していた。それまでは漠然と空気感染を前提にしていたのだが、地図を見ると、地域の貧富区別なく広まっていた。また、数百人を出した地域から、数日して、まったく別の地区に広がることもあった。それらのクラスターをつないでいくと、見えてきたのはテムズ川を水源とする共通項だった。

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上記画像は、『コレラの世界史』の著者インタビューのサイト(アットホーム株式会社大学教授対談シリーズ)より引用。汚いテムズ川の水のことが指摘されている。作者の見市氏は当時の状況をこう語る。

(イギリスの衛生改革や近代都市づくりが、実はコレラをきっかけとして行なわれていった。しかし、それは)まるで見当はずれな論理や観点から、意外にもそれらが正しい方向に進んでいった・・・コレラ患者が老人や虚弱者、酒飲みといった貧困層に偏っていた。彼らは道徳的に劣っていると考えられていたので、「コレラ=不道徳」という方程式ができた。そこから、この“不道徳な病気”を退治するには、“不道徳な人間”の生活環境を道徳的に向上させなければいけない、という発想が生まれ、衛生改革が行なわれた。しかし、当時はまだ感染ルートが(水だと)特定されていませんでした。


このとき、人類が学んだことは感染症対策の知恵として、今日の、新型コロナなどの追跡調査にも用いられている。


日本史の大変革の時代にも、感染症はやってきていた

天然痘以来、幸い、日本は、世界的なパンデミックに巻き込まれてこなかった。しかし幕末、開国を強いられると同時に、コレラが日本に上陸した。瞬く間にコレラは広がり、江戸での死者は十万人を越えたという。外国人に対する憎悪だけでなく、得体の知れない病への恐怖が、日本人を不安に陥れたのは想像に難くない。

(上記画像の記事リンクより下記にも引用)
【日本に衛生観念を植え付けたコレラ】
コレラの流行まで、日本国内に医学的な感染症対策はほとんどなかった。加持祈禱(かじきとう)に頼り、疫病退散のお札を戸口に貼って家に閉じこもったり、病気を追い払おうと太鼓や鐘を打ち鳴らしたりしたという。(幕末の医師)緒方洪庵や長崎のオランダ医師ポンペの治療法が一定の効果をみせたこともあり、江戸幕府は文久2年に洋書調所に命じて『疫毒預防説(えきどくよぼうせつ)』を刊行させた。オランダ医師のフロインコプスが記した『衛生全書』の抄訳本で、「身体と衣服を清潔に保つ」「室内の空気循環をよくする」「適度な運動と節度ある食生活」などを推奨している。


極論かもしれないが、コレラと、グローバル経済に呑み込まれた幕末の物価上昇。この二つが、江戸幕府を瓦解に追い込んだと見えなくもない。このコレラの流行は明治に入ってもしばらく続くことになる。

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日本では、コレラ以上に厄介だったのが結核だ。労咳とも呼ばれ、幕末の高杉晋作や沖田総司がこれで亡くなっている。空気感染をする点で広まりやすい。また急激な産業革命を推し進める明治期に入ると、日本は、イギリスと同じ経緯をたどった。紡績工場で働く50万人以上の女性のうち(のちに「女工哀史」で綴られているが)、病気で解雇された女性の7割は結核だったと言われる。

国民病となった結核は貧困層だけでなく、著名人の体をも容赦なく蝕んだ。滝廉太郎、正岡子規、森鴎外、樋口一葉など枚挙にいとまがない。

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昭和に至っても結核は常に日本人の死因上位だった。アメリカで治療薬(抗生物質)「ストレプトマイシン」が発見され、ようやく結核の治療が可能になる。下記にそのリンク記事を示そう。アメリカのワクスマンが、放線菌というカビに似た微生物から創った薬である。

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インフルエンザの正体とは

ところで、人類史上最大の死者を出した感染症と言えば、スペインかぜであろう。新型コロナによって、再び、我々の記憶の中に呼び覚まされた。スペインかぜの正体はインフルエンザだ。しかしその起源は、命名にあるスペインではない。アメリカやフランス、中国など諸説ある。1918年、スペインかぜは日本にも流入。感染者2300万人、死者38万人を記録した。第二次世界大戦中に広まったこの感染症は、戦死者以上に多くの犠牲を出すに至った。

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上記画像は、みずほリサーチの「スペイン風邪顛末記」より引用。


そもそもインフルエンザは、かぜと酷似している。どちらも飛沫感染(空気感染ではない)である。呼吸系の急性炎症をともなう。しかしインフルエンザの場合、症状が急に現れ、全身の関節痛や筋肉痛などが見られた。重症化もありえる。さらにウイルスが特定されており、問題の多くは鳥由来だ。つまり、まったく別の病気だと思った方がいい。下記の画像は、シオノギ製薬の「インフルエンザ」解説サイトからの引用。

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上記解説サイトより)
インフルエンザウイルスは、抗原性の違いによって、A型、B型、C型およびD型の4つの属に分類されます・・・A型インフルエンザウイルスは、カモなどの渡り水鳥の腸に感染し、糞便と共に水中に排泄され、冬には凍結されて自然界に存続しています。・・・(人から人に移る場合)感染した人の“咳”や“くしゃみ”など水分に包まれた状態(飛沫)で空中にばらまかれます。飛沫核として別の人に吸い込まれたインフルエンザウイルスは、鼻やのどの細胞に入り込み、その細胞を子孫ウイルスをつくる工場にして、増えていきます。その後、気管や気管支の細胞にも感染して、沢山のインフルエンザウイルスが“咳”や“くしゃみ”などと一緒に排泄されて、次の人に感染します。

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インフルエンザの正体とは、たまたま人間に感染するようになってしまったウイルスである。風邪と同じく上気道に感染する。しかし原因ウイルスそのものが異なり、またコピー精度が悪いと言われている。それだけ多くの変異種が出回ってくるため、厄介である。スペインかぜの事例もあり、今後、インフルエンザの変異種がパンデミックを起こす可能性はある。しかも、一時懸念された新型(鳥)インフルエンザは、その致死率において極めて脅威だ。今後、長きに渡って最も警戒が必要となるウイルスだろう。


世界が感染症に対して「ひとつ」になれるか

最後に、まとめになるが、今、僕たちが苦しめられている新型コロナは、実は2002年から始まっている。中国広東省で発見された謎の新型肺炎だ。これはのちに「SARS」と命名される。翌年7月、SARSは急速に終息した。結局、日本にも伝播することはなかった。その10年後、中東で「MERS」が発見された。これもまた新型コロナだ。そして2020年、SARSの名を冠する「Covid-19」、今日の新型コロナが第7代目として登場する。過去6種類のうち、SARSとMERSは重症化を引き起こす。残念ながら7番目は凶悪なウイルスであり、今日の世界的なパンデミックを引き起こした。

しかし、人類史上今回初めて、世界が一丸となってひとつのウイルスに向き合った意義は大きい。スペインかぜの頃は、第一次世界大戦の真っ最中。未曾有の被害を出した。それに比べれば、現在の取り組みは将来に期待を寄せられるものだ。各国が協力してワクチンの普及に力を入れている。

これは、あの天然痘の根絶を思わせる。戦後、人類は天然痘によって、毎年2000万人の感染者、400万人の死亡者を出していた。当時のソ連が声を挙げ、それにアメリカが協力を表明した。具体的には、WHOが作戦を遂行。早期発見、周辺の一体的隔離、そして集中的なワクチン措置(=種痘=予防接種)を行った結果、人類が唯一、根絶に成功した感染症だ。



米中対立など、世界の足並みを乱すような小競り合いはあるが、新型コロナに対してはぜひ、人類の叡智を発揮してほしい。









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