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良識のない人は、多分、教養がない?

僕たちはどこから来て、どこへ行くのか。この途方もないテーマを7つの切り口でさらりとまとめるのが池上流です。宗教、宇宙、ヒト、病気、経済、歴史、日本。これら教養を身につければ、人として様々な偏見や束縛から解き放たれ、自由な発想や思考を展開していけるようになると言います。社会人として、大人としてのあるべき見識ですね。しかし、教養のかけらもない人が、偏った知識だけを振り回して、誰かを傷つけようとする。そんな有り様は、ヘイトスピーチの事例を見るまでもなく、良識を疑うような事例が身の回りには溢れています。「良識」がない、それは教養のかけらもないこと。その意味を、みずからにも戒めつつ、学んでみようと思います。
※冒頭画像は、進路羅針盤というサイトからの借用です。なぜ高校生に教養を投げかけるのか、それは大学にて学ぶからです。リンクあり。

宗教こそ、人間の本性

池上さんがよく使う手は、物事を逆さに見ることです。たとえば、いくつかを並べてみましょう。宗教って、迷信や妄想ではないのか。現在の日本人は科学というツールを片手に、宗教をそう蔑むことがあります。オウム真理教のような危険な香りがするからでしょう。また、テロ騒ぎを起こすイスラム教に嫌気がさす人もいるはずです。さらに、熱心な勧誘をしてくるあのモルモン教がどこぞの怪しい宗教で、キリスト教の一派だと知らない人がいても不思議ではありません。日本人にとって比較的身近な仏教でさえ、その発祥地・インドでの態様とは似ても似つかぬものになっています。実は僕たちは、それほど宗教を理解していないのです。宗教は科学と同じ方向を向いています。僕たちにこの世の仕組みを教えてくれる教義なのです。

科学の誕生

宗教を、宇宙誕生や生命進化の研究と比較して考えてみましょう。今日の僕たちは、この宇宙がビッグバンによって誕生したと理解しています。かつてはバカにされた理論でした。当時は「まるで宇宙が大爆発で始まったとでも言うのか」とののしられていたそうです。これはダーウインの進化論も同様ですね。「俺たち人間様が、あのサルから進化したって言うのか」などと、どっかで聞いたことのあるセリフです。もっと時代を遡れば、地動説を唱えたガリレオも、周囲から冷ややかな目で見られていたかもしれません。「地球が動いてたら、俺たちが立っていられるわけないだろう」なんて感じです。科学の知見は、そのひとつひとつの偏見を見事に覆してきました。そう、科学が戦ってきたのは宗教ではなく、そんな偏見なのです。当時の人々の「常識」で推測していた偏見に挑戦してきました。逆に、宗教は、科学と偏見との戦いを超越した存在になりました。道理で、世界の著名な科学者の多くが、みずからの信仰を捨てないわけです。

科学と宗教は矛盾しない。科学とは、この世の中の仕組みに疑問を抱き、丁寧な実証を重ねて、解き明かしていく術(すべ)のことです。中世の時代、宗教権威者が盲目的に信じていた理屈を、何度も覆してきました。では、宗教とは何か。おそらく、あらゆる事象に意味づけを行う人間の性(さが)なのです。なぜ宇宙が誕生したのか。その答は永遠に見つからないかもしれません。宗教はそこに、神の意思を植え付けます。なぜ人類が生まれたのか。科学は、不規則な突然変異が重なった偶然だとしていますが、宗教はそれを神の意思とし、僕たちにとって壮大なロマン、見えない使命感を与えてくれます。科学が明らかにし、宗教が意味を添える。僕たちの存在を、決して偶然ではなく、何らかの必然としたい。そんな役割分担ではないでしょうか。

人類の抱える永遠の悩み:病

このあとで本書は、いきなり「病気」について語ります。別に新型コロナのことを意識したわけではありませんが、池上さんはウイルスのことを延々と説明し始めます。それはなぜでしょうか。人間の歴史が、病原菌いわゆる感染症とは切っても切り離れないからです。感染症には、感染源・感染経路・宿主の要素が挙げられ、寄生虫・真菌・細菌・ウイルス・プリオンの5つが原因微生物になりえます。歴史を振り返ってみると、ペストが中世ヨーロッパを破壊し、天然痘は何度も人々を恐怖に陥らせました。スペインかぜは史上最大の死者を出したと言われます。近年では、我々に身近な死因となっている癌も、ウイルスによって引き起こされる病気です。公衆衛生で劇的な改善を果たした人類ですが、病原菌は無数あって、かつ突然変異を繰り返し続けます。終わることのない争いが続く限り、僕らの学びも気を休めるわけにはいきません。

人類が発明した仕組み:経済

池上さんは「経済」も重要なポイントに挙げていますが、これは裏を返すと、国としての政策能力を試されていることでもあります。経済学の今日までの知見から、国が「経済にどこまで、どう関与するか」。東西冷戦や新自由主義の時代を経て、ずいぶん現実的にかつ成熟してきたものと思われます。ここで僕から補足をしておきましょう。経済の成長にとって不可欠なグローバル化が、ここ数年、大きな試練を迎えています。そこには歴史的な経緯を踏まえての、政治の反動が多々見受けられます。たとえば、グローバル化の中でアメリカが意図せずして育ててしまったのが、中国です。いまだに社会主義の看板を下ろさず、巧みな外交力で存在感を日に日に増しています。米中貿易摩擦はある意味必然だったのです。そのアメリカと同盟関係にありながら対抗意識を燃やすEU(ヨーロッパ)は、そのまとまりに大きな亀裂が入ってしまいました。イギリスの離脱が変化の潮目となりそうです。さらに世界で最も重要な資源を抱える中東ではにわかに緊張感が高まってきました。対立の構図が複雑かつ細かくなり、ひとたびイランやシリアなどが有事になると、三度目の大規模な石油危機にもなりかねません。このような国際情勢を理解するためには、各地域の歴史への知見を深めておく方がよいでしょう。

人類の「進歩」が問われている

最後に、日本を知ろうという言葉で池上さんはまとめています。僕たちの大半が日本人であるのですから、自国のことを知っておくのはもちろん大切です。グローバルなお付き合いが多くなるとしたらなおさらです。しかし、もっと重要なことに触れずして、今後の日本は語れないでしょう。それは、愛国教育のあり方です。自画自賛する前に、常に立ち止まっていただきたい。なぜなら、他を貶めるカタチで、自らを称賛するのは、ヘイトスピーチとそれほど変わらない「井戸の中の蛙」的思考だからです。僕たちが自然に抱く「お国自慢」という感情は、自分の血肉となって慣れ親しんだものが、他者に誇れるものであってほしいという希望です。その正体は「愛着」です。自分にそれがあるのだから、他人にもあるはず。そうしたことに気を回せるのが、教養の力だと思います。色々なもの、あるいは相手に関心をもち、理解をする、そして相互に尊ぶ。健全な愛国心とは、他者とともに生きる教養を学んだ人がいる国でこそ、しっかり芽生えてくるのです。


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