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ロケットはどのように宇宙へ飛ばすか

元ZOZOTOWNの創業者である前澤友作氏が宇宙へ飛び立った。しかも(プロの飛行士ではなく)旅行者として、である。これにより、「金を出せば、誰でも宇宙へ行ける時代」が到来したと言えるだろう。もちろん事前の訓練は必須であり、前澤氏の実行力とそれを可能にした財力には感服する。その意義について、詳しくは下記リンク先を参照。冒頭画像もこちらからの引用である。決して「金持ちの道楽」を妬むという話ではない。


「宇宙へ飛び出す」とは

さて、宇宙が民間ビジネスのターゲットになりつつある今日、ロケットを飛ばすことはまさにその入口だ。だが、飛行機が飛んでもニュースにならないが、ロケットが飛ぶと大なり小なり人の目を引く。それくらい、まだまだ、ロケットとは特別なもの、稀有なイベントである。

基本的に、ロケットとは宇宙に飛び出すものであるから、地球の引力を振り切る速度が必要になる。それは「第一宇宙速度」と呼ばれ、弾丸より高速だ。時速2.84万km(秒速7.9km)。これでも地球の引力から完全に逃れることは不可能なため、さらに加速して、時速4.03万km(秒速11.2km)を目指す。これが「第二宇宙速度」。

加速を続けて、続けて、ようやく到達できる速度である。ちなみに、秒速10kmの速度なんて、皇居一周なら0.5秒、山手線一周なら3秒、東京から大阪を1分かからずに移動してしまう速度のことである。ちなみに、音速(=1マッハ)とは、秒速0.34km(340m)なのでかなり遅い。宇宙に行くためには23.9以上のマッハが必要になる。

「算数から高度な数学まで、網羅的に解説したサイト」より引用


ロケットが宇宙へ行くための数式を理論的に導き出したのは、ロシアのツィオルコフスキー。1903年に発表した。彼の理論によって、ソビエトは世界初の人工衛星スプートニクを打ち上げ、ガガーリンの宇宙飛行も成功させた。ただし、彼の公式には、空気抵抗や重力損失も加えなければならなかった。頭で考えただけでなく、現実を踏まえた設計値が必要になったのだ。

さらに要件は速度だけではない。燃料を燃やして速度を得るわけだが、そもそも空気の存在も不可欠になる。実際、上空を飛ぶ飛行機は、空気を取り込んで飛び続けている。ロケットは、空気に代わる酸化剤を積んでおかなければならない。普通の飛行機では、空気のない宇宙に飛んで行けないのだ。


ロケットを知っている人にとって、当たり前すぎることだが、その推力とは反動の力だ。燃料を燃やして大量のガスを作り、それをいわゆる壁にするのだ。ガスを出すと、その壁からは反対方向に同じ力がかかる。ロケットはまさに、このガスの壁を蹴って、みずからを前に押し出すのである。ちなみに、車輪を介さない飛行機は空気を、船は水を、車は地面を蹴って加速している。すべて同じ原理なのだ。

ロケットが積み込む酸化剤(や燃料)には固体と液体がある。固体は運搬などが扱いやすい。液体の場合は使用時の制御が便利だ。日本では、小型ロケット(イプシロン)には固体燃料が採用され、大型ロケット(H-2A)には液体燃料が用いられる。後者を国産開発するために、日本では大掛かりな機構改革をやってのけたほど、その難易度は高い。


ロケットの性能を測るもの

ロケットのスペックでは次の4つの指標が重要とされる。ひとつは推力。一秒間に噴射される燃焼ガスの量と噴出速度を掛け合わせたものになり、トンで表す。次に、燃料比質量比。前者は推進剤の比率、後者は推進剤を除いた部分の比率。燃料比は90%くらいになってしまうが、ロケット重量のほとんどは推進剤であることを示している。最後に比推力。推進剤の単位量でどれくらいの推力が発生するかを示した数字。250秒から300秒くらいで表される。推進剤の性能と言っていい数値だろう。

これらの指標が改善・向上していくためには、ロケットの軽量化が焦点となる。軽く作りたいがゆえに、アルミやチタンやニッケル合金、そして繊維強化プラスチックが採用されている。さらに、その肉厚を薄くすることも重要。ただし、エンジン部は3000度に耐えることが求められ、マイナス250度の液体燃料を格納する部位もあり、難度は非常に高い。

日本の主力打ち上げロケットH‐ⅡAに見る「多段」ロケット|TELSTARより

ロケットの飛翔映像を見ると、多段で飛んで段々に個々を切り離していく場面を見かける。使い終わった推進剤を切り離し、みずからを軽くしていくプロセスだ。また炎が噴射されている一番下の部位には、エンジンが複数束ねられている。このクラスター状態が、小型エンジンを複数連ねて大型エンジンの代わりとしている。開発費を抑えるための知恵だ。


ロケットの歴史はミサイル?

さて、そんなロケットが今日の姿になったのは、やはり戦争の歴史を知る必要がある。もともとは民間人が考案したものだったが、それをナチスが武器として研究。1934年12月に重量500kgの小型燃料ロケットA2が打ち上げられた。全長14m、打上時の重量12.5トンだった。1942年にはその飛行距離が192kmに達し、ロンドンを射程圏に収めた。名高いV2ロケットである。


V2ロケットの登場は、戦時下では悲しい出来事であったが、戦後のロケットに、技術という点で多大な貢献を、したのはせめてもの慰めである。

フォン・ブラウン氏はドイツで「V-2」を開発、その後アメリカへ亡命。詳細はリンク先へ


その後、ロケット研究はアメリカに引き継がれた。ドイツの研究者がそのまま主導的役割を果たし、弾道ミサイル・レッドストーンを開発した。1952年、全長21m、重量28トンのスペックだった。

この成功に自信をつけていたアメリカだが、1957年、ソ連が打ち上げを成功させたスプートニクには驚かされた。全長29.2mの人工衛星である。その後、1961年にはガガーリンの搭乗したボストークが史上初の宇宙飛行を実現させた。これにより、宇宙競争ではソ連がアメリカを完全に逆転する。


AFPの図解記事

図は、こちらの記事(人類初の人工衛星「スプートニク1号」打ち上げから50年)からの引用。


宇宙事業と旧ソ連

スプートニクと言えば、犬を載せた宇宙飛行の有名なエピソードがある。過酷過ぎる現実は、ちょっと恐ろしさを感じてしまう。


ロシアのロケットについては、もうひとつ。前澤氏が搭乗したソユーズについても触れておこう。天才セルゲイ・コロリョフが開発した「R-7」をベースにしている。その特徴は、中心のロケットの周りに4本の補助ブースタを装備しており、打上げ時にはこれらがクラスターとなって、大きな推力を発揮する。また同じエンジンを大量に製造することでコストも安くでき、イーロン・マスク以前に生まれた画期的な実用性を備えていた。


日本におけるロケット研究

軍事利用が大前提の中、日本では平和利用に特化したロケット研究が始まった。1952年のサンフランシスコ講和条約でようやく敗戦のみそぎを済ませた日本は、航空機の研究を再開。元中島飛行機の糸川英夫氏は東京大学にてロケット研究に没頭し始める。

打上実験に使われた場所は、秋田県の道川海岸。下記写真は、「探検発見 : 東京大学 秋田ロケット実験場跡」と題するサイトからの引用。東京の廃工場跡でペンシルロケットの発射実験に成功した糸川氏は、船舶や航空機の航路を避け、漁業への影響の少ない場所を求めて、秋田県由利本荘市の河口を選んだ。ぜひ、リンク先の一読を。

道川海岸でのカッパ 6 型ロケットの打ち上げ。 これが、日本の宇宙開発最初期の光景である。 提供 : 宇宙航空研究開発機構 (JAXA) Copyright (c) JAXA


当初の打上実験は、1m強のベビーロケットだった。その後、気象観測に狙いを定めた日本は電離層の最下層に届くロケットを開発。時は1960年、高度200kmへの打上を視野に入れた。しかし、問題は日本海の狭さである。対岸のロシアへの落下は許されない。糸川氏は太平洋側にあらたな発射場を求めることになった。

1970年、日本は、世界で4番目となる人工衛星(おおすみ)の打上に成功する。米ソ、そしてフランスに続く快挙だった。苦難の連続だったプロジェクトは、4度の失敗を繰り返していたが、ようやく糸川氏の構想が実現した瞬間だった。失敗を糧にするこの改善方式が、その後の日本の宇宙開発に資した点は見逃せない。「おおすみ」はその後、地球の軌道を33年間回り続ける。


「おおすみ」打ち上げの2ヶ月後、お隣の中国が大型の3段ロケットを開発し、5番目の人工衛星打ち上げ国になった。「おおすみ」の7倍以上の重量を有し、宇宙開発において独自の第三極を目指している。実際、2003年には、有人宇宙船「神舟5号」を成功させ、飛躍的な躍進を続けている。

その2003年、日本の宇宙政策の節目になる、現JAXAが発足した。東大から始まったロケット研究だったが、関連する三つの機関を統合し、宇宙開発の効率化を目指した。最大の課題は、液体燃料の開発によって(大型の)商業衛星を打ち上げること。液体であれば出力を増減させることが可能で、ロケットを制御するための重要な要素となる。これをモノにし、国産でのエンジン開発を実現することが目標だった。

2003年11月に打ち上げられたロケットはブースター(補助推進装置)分離に失敗。JAXA成立に華を添えることはできなかった。しかし、その後の打ち上げでは世界有数の成功率を誇り、中でも三菱重工の「H-2A」とIHIの「H-2B」を合わせると、2020年に引退するまで、失敗はわずか一回。成功率は98%に達した。特筆すべきは、円高が進行した時期にあたっても、開発費用を徹底的に抑制し、構造も簡素化させたことである。


いよいよ宇宙はビジネスになる

昨今、ロケットと言えば、海外ではイーロン・マスク、日本ではホリエモン(堀江貴文)両氏の取り組みが話題に上がる。特に、前者のマスク氏は、EV自動車・テスラの創業者として世界中の期待を一身に集めるだけでなく、「スペースX」にて人工衛星の打上費用を6000万ドルにまで削減した。

これによって、ISS(国際宇宙ステーション)への輸送作業は民間委託が可能になった。また、マスク氏は、打ち上げたロケットの回収という離れ業までやってのけた。


単価を下げること、頻繁に打ち上げられること。この2つがロケットビジネスの肝になる。話題の「スペースX」は年間20本のロケットを打ち上げた。2011年、国際宇宙ステーション(ISS)が稼働して以降、地球との輸送がビジネスになり始めた。

ISSは高度300~400kmを飛んでいる。地球の大気は限りなく薄い。気圧は地上の1兆分の1である。しかし、重力はある。地上の9割ほどの重力が残っているのだ。それでもISS船内の宇宙飛行士はフワフワと浮いている。なぜなら、ISSにかかる遠心力と地球からの重力が釣り合っているからだ。ISSは秒速8kmという猛スピードで地球を回っている。重力はあるが、「無重量」状態なのである。


前澤氏みずからも語っている、宇宙の環境とは決して「居心地のいい」ものではない、と。無重量に慣れないと、睡眠障害に陥る。また、ひとたび、ISSの船外に出れば、日が当たる場所で120度、日のない時間帯でマイナス150度。想像を絶する温度差だ。幸い、宇宙服に守られ、地球一周をわずか90分で回る短時間の変化でもあることから、温度差は大きな障害にはなっていないとか。


ロケットは「化学」である

ロケットの打上(推進)とは化学エネルギーを用いている。いわゆる爆発エネルギーだ。酸素(16g)と水素(2g)の組合せにて得られる運動エネルギーは、241KJ/molと水(18g)である。理論的には、上限値で毎秒5kmが出せることになる。なかなかその上限値には達しないので、今日のロケットは「4km/s」前後を狙う。この速度は、排気速度と呼ばれる。

ロケット全体の重量の大部分は燃料と酸化剤だ。90%以上を占める。ペットボトルにたとえると、宇宙に運ぶ目的物の重さは、わずかキャップ2杯分。その他は主に、燃料と酸素が液体としてタンクに入ったものだ。これら燃料と酸素とを、燃焼室に送り込むのが実は大変な作業である。爆発の圧を跳ね返し、送り込むポンプを「ターボ」と呼ぶ。


現在打ち上げロケットの主流は「液体」エンジンである。燃料と酸化剤の供給量を細かく制御することができる。ただし、最も難しいのは、この供給量を制御するターボの開発だ。単に高性能を目指すのではなく、開発・製造コストをいかに抑えるかも、焦眉の課題である。

あと、化学を生かす点では、宇宙に到達してからも、同じである。最後にその点に触れておこう。探査機のイオンエンジンだ。厳密には電気化学。宇宙分野では「電気推進」と呼ばれる。あの「はやぶさ」が武器にした。宇宙に出た後の加速スピードは、軌道遷移と軌道維持(10年分)にて毎秒2.0kmを要するが、イオンエンジンの原理では、電気によって生じたエネルギーを運動エネルギーに変換している。


この原理自体は古いアイデアだ。電気にも当然エネルギーがあるので推進力に変えられるのだが、直接物体に与えても、物体の中のプラス(原子核)とマイナス(電子)の作用で打ち消されてしまう。そこで、物体のプラスだけを引き離す(イオン化させる)。それに電気エネルギーを与えて外に排出。これで探査機が進むのだ。

まぁ、この辺りは、このテーマだけで面白いトピックスなのでまた別の機会に。いずれにしても、地球から宇宙へ、そして(宇宙では)より遠くにモノを飛ばす仕組みは、人類の世界を広げる偉大な技術開発に支えられている。省コストで、省エネルギーで、それらを実現することが、夢を現実にする人類の力なのだろう。日本人が得意とするところでもあるので、将来が非常に楽しみでもある。



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