インプットとアウトプット

大学が春休みに入り、早2週間が経過しようとしている。
特に課題ややるべき事に追われることもなく、日々が過ぎていく。その中で気づいたことがある。

この時間がある時に、自分が以前から少し興味があったことに手を伸ばすようにしている。
それらはほとんどが自分一人でできることだ。
小説を読む・哲学書を読む・サッカーを観る・専門以外の科目の勉強をする・英語を勉強する、、、①
多くの時間をこれらをすることに使っていた。

しかし、自分のやりたいことが出来ているにも関わらず、なんだか充実感を覚えない。どうしてか物足りない感覚になる。

そんな折に
日常を過ごしていると、ふとこの物足りない感覚が消えて心が満ち足りていくのを感じる。それは、
外出時の人との会話・オンライン英会話・友達とのline電話・エッセイや俳句など文章表現、、、②
後のことだと気づく。

なるほど、これらは「アウトプット」ではないか?
自分の内部にあるモノを外部にアウトプットするという行為ではなかろうか。という事に気付いた。
思えば上記①の行為は、全て「インプット」の行為である。知識や表現が外部から内側に入って来るだけだ。
その”入って来たモノ”と”元々自分の内部にあったモノ”とが反応しあって、”出来たモノ”を外部に放出する必要があったのかもしれない。

要は、インプット過多にならずに適度にアウトプットをしないと息が詰まってしまい、生きづらくなってしまうという事だ。インプットが多くなるのはいいとして、アウトプットの量を確保しなければならない。

どうりで、学期中のレポートや発表プレゼンテーション作成がなんだか楽しかったわけだ。
それらは、インプットというよりかはどのようにわかりやすく人に伝えるかを自分で考え、形にする「アウトプット」の代表例ではないか。


4月まで自分の時間を多くとれる時期が続く。
この時間を大切にしつつ、もう少しばかりアウトプットの時間を確保しよう。

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