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19世紀末ポーランド・ウッチの繊維産業界でのし上がろうとする青年たちの物語 アンジェイ・ワイダ監督「約束の土地」(1974年)

大学図書館所蔵のDVDを次々鑑賞するひとりプロジェクト、レンタル屋さんや配信でなかなか見ることができないでいた、ポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダ監督の作品を続けて観ることができました。

1本目は「灰とダイヤモンド」、2本目は「地下水道」。そして3本目は、「約束の土地」です。

なぜこのシーンが使われたのか…?

ときは19世紀末、3分割されて国家として消滅していた時代のポーランドが舞台です。世界有数の繊維産業の街となったウッチで、3人の若者が出資して、自分たちの工場を持とうとする物語です。

ポーランドの士族出身のカロル、その友人のユダヤ人モリツ、ドイツ人マックスは、3人で資金を調達して自分たちの工場を建てようと誓い合います。

カロルはなかなか切れ者らしく、勤務先の工場でも目をかけられ、重用されています。

知人友人らからも、やり手と認められているようで、旧家の出身であることも相まって、美しい相思相愛の婚約者がいるにもかかわらず、別のお金持ちから娘婿にと望まれてもいます。

彼だけになら融資してもよいともちかけられることもあるのですが、カロルは、絶対自分たち3人が同等に出資して3人の工場をつくるのだと譲りません。

でも、ウッチでは、毎日のように工場が倒産したり、保険金目当ての家事が起こったりしています。そんなときに若者だけで、新たに工場をつくるというのは無謀に思われます。

ところが、このカロルという人物、ある企業家の妻とも密通し、彼女を通じて耳寄り情報を仕入れます。

それによって抜け駆けに成功し、ウッチの繊維業界が苦境に陥るなか、うまく出し抜いて、まんまと自分たちの工場の操業にこぎつけます。

しかし、身近な人たちを裏切って果たした成功のすぐそばでは、その成功を転覆させることになっていきそうな動きが起こっているのでした。


ネタバレにならない程度に筋を書いてみました。

この映画、ポーランドの映画博物館で非常に高い評価を得た作品なのだそうですが、なんで?というのが素直な感想。

なにしろ、カロルという人物にまったく共感できないのです。

資本家たちの冷酷さ、猥雑な暮らしぶり、対照的にとんでもなくひどい工場の労働環境や貧困層の生活環境。

でも主人公たちは、それに反発して善き社会をつくろうとしているわけではないのです。特に、主人公の、自分の成功のためなら大事な人たちも切り捨てる下卑た野心が、ぜんぜん好きになれない。

カロルの友人のモリツやマックスはカロルほど非道な人物ではなさそうですが、彼ら3人の友情がいつどう育まれたかは映画では描かれていないので、なんで一緒にやっていこうと誓ったのかが理解できない。

親世代を超えて成功してやるという青年らしい野望や情熱は良いとしても、手段選ばず、労働者は使い捨てなところは親世代と変わらない感じ?

DVDのジャケットには、「祖国の文化へのオマージュ」と本作を評しているのですが、むしろ「資本家って腐ってる!」と思わせる映画になっているように思うのです。

それでいいのかな。

気になるので、この作品や原作(ノーベル文学賞作家レイモントによる)について触れている論文を確認したところ、その感想でズレてはいなさそうでした。( ´∀` ) 

参考:小椋 彩(2023)「19世紀ポーランドの文学と自然・都市・エコロジー」『ロシア・東欧研究』2023 巻 52 号 p. 39-49


ところで、映画はどれくらい原作に忠実なのだろう、原作者のレイモントはノーベル文学賞も受賞しているくらいだし、当然、どっか図書館で借りられるだろう、せっかくだし読んでみようかな。

と探してみたら、

ない…

所蔵されていないというのではなく、どうも翻訳されていない???

さすがに原語で読むほどには、ポーランド語力も、熱意もない(笑)

ということで、ワイダ監督の本で確認してみようと思いま~す。


つづく、かも。


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