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可能性の中に生きられなかった看護学生の話

「嫌われる勇気」が有名になった頃、

私はアドラー心理学を初めて知った。

今まで万人に好かれるためにはどうすれば良いかを考えて生きるくらい八方美人の私には、

とんでもなく衝撃的な内容だった。

一言で言うと、周りの目を気にして生きるのではなく、自分の人生だから自分を1番に置いて、自分のために生きようと言う思想だと、個人的には理解している。

その根幹の思想ももちろん感銘を受けたのだけれど、

私が1番印象に残っているのは、

可能性の中に生きる

と言う考え方だ。

例えば、私は幼い頃、女優になりたい、アナウンサーになりたいと思っていた時があった。

なんの取り柄もないのに、何故か女優になれば人気が出る、アナウンサーになれば上手に出来るという自信があった。

しかしながら、親に言うのが恥ずかしくて、

真剣に挑戦せずに時が過ぎた。

今でも、あの時、女優の稽古をしていたら今頃有名になってたかもなと思う時が数年に1回くらいあるのだけど(だからといって今の人生を後悔しているわけでない。)、

これこそ、「可能性の中に生きる」だ。

挑戦せずに終わったからこそ、可能性の中に生きれるのだ。

私が会社を立ち上げれば億万長者になれるのにと言ったことや、

宝くじを買ったら絶対一億円当たるのにという

可能性の中に生きられる。

そして、可能性の中に生きるのは、傷ついたりしないからとても心地よいのだ。

しかしながら、私が可能性の中に生きられなかったのは、看護学生の時だった。

看護師を志した頃、私は何故か1番優しい看護師になれるんじゃないか、上手に看護技術が出来るんじゃないかと思っていた。

しかしながら、看護学校に入ってみて、

実際にやってみると全然出来なかった

看護技術試験にも、ことごとく落ちた。

手の皮が剥ける程、清拭の練習をしたし、

毎日、友達の髪で洗髪した。

毎日、家族の血圧を測った。

高齢者と話す機会も今までなかったので、優しくない態度になってしまったこともある。

可能性の中に生きることが出来ずに、

今もう一度看護学校に3年間通って看護師になるかと問われれば、違う道を志すかもしれない程辛かったけど、

でも充実はしていた。

高みの見物ではなく、その世界に飛び込んだからこそ味わえた挫折や悔しさ、そして嬉しさや楽しさもあった。

可能性の中から飛び出したからこそ、味わえたことである。


だからこそ、居心地のよい場所ではなく、短い人生の中で沢山の経験をしたいから、

可能性の中に生きる人生よりも、

ちゃんと挑戦して、体験していく人生を歩みたいと思う。

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