見出し画像

「Nature」+「食」=命を創る

「アメリカ自然食レストラン「Paycheck Protection Program」チャレンジ8週間記録 」から少し離れて、私の自然食(Real Food)ルーツを書いてみようと。

母から娘へ

心臓疾患を持って産まれた私の幼少期は身体が弱く、頻繁に病院に通っていたのに何故か自分の疾患を中学生まで知らなかった。私は母の心配する顔を見たこともなく普通の子どもと同じように過ごしていた。しかし医者は病気を治せても身体を強くすることまでは出来ない。そこで母は私の身体を強くする為に無農薬の野菜やお米、ホルモン剤を打たない家畜類、川に流れても鮭が死なない洗剤等とことん無添加な生活に拘った。歯磨き粉もシャンプーも泡は立たない。サランラップは途中でよく切れる。小麦粉は国産無農薬無漂白、クッキーは硬くてボロボロ。ティッシュはチリ紙交換の紙で、鼻を咬むと紙が溶けた。食材は無農薬だけでなく誰がどのように育てたのかも拘り、食事は手作り。祖父は出張に行く度に丁寧に仕込まれた無添加の調味料を日本中から探して買って来た。そんな生活から小学校に上がると学校給食や母以外の食べものを口に入れる機会が増え食品添加物等に慣れていない私は蕁麻疹や腹痛にみまわれアレルギーを発症してしまう。そこで母は小学校のPTA仲間と「学校給食を自然食に!子どもに安全な食べ物を!」と運動を始めPTA仲間とボランティア団体を作り地域の子ども達へ無添加のおやつや共働き夫婦の家庭に手作りのお弁当を配り始める。しかし私の在学中に学校はそう簡単には変わらず母は「社会を変えよう」と自然食の会社を興しこれまで「安全な食べ物を未来に」と飲食業界に提唱し続けた。短大を卒業した私は3つ上の姉と一緒に母の会社に就職し長い間様々な事を共に経験させて貰い、会社の30周年を機会に独立してオレゴンに渡り今に至る。私の心臓は完治しているし身体も非常によく働き体力もかなりある。食べ物は命を創る。食べ物は人を創る。自然食から命を分けて貰った私はこれからもChefとして自然と人を繋ぎ、自然食の素晴らしさを伝えていきたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?