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ハイキング

 徐々に秋めいて気温も落ち着いてきたこの頃。気分転換に山へ登りに行きました。登るといっても、それはなだらかな砂利道をほとんどハイキングのように歩くことのできる山道です。そうはいっても展望台までを二十分ほども歩くと、額にうっすらと汗をかいて肩で息をするようになりました。何度か歩いたことのある山道ですが、そのたびに普段からの運動不足を山に教えられるようです。
 自分の砂利を踏む音や、虫や鳥の鳴く声だけを聞きながら歩き続けていると、適度な疲労も手伝って、日々の生活では感じることのできない無心の瞬間が訪れてきます。普段の生活のなかで意識されないあいだに自分に積もっていた澱が流れ落ちて、風が吹けば透き通るような開かれている自分が感じられてくるのです。そうした瞬間においては非常に内省的で客観的な視点が自分のなかに獲得されたように感じられます。まるで自分の乱れた呼吸の一つ一つを手にとってじっくり眺められそうなほどです。そのように感じられるのも、思考や言葉として表される以前の自然から与えられるある刺激が、人間のまだ眠っている、だからまだ曖昧な感覚を呼び覚まそうとしてくれているからだと思うのです。
 物事を客観的に見るとはよく言われることですが、そうしようとすることほど日常のなかにあっては難しいことはないと思います。自ずと自然にふれる機会の多くなる紅葉や行楽の季節はまた、そうすることを可能とさせる閉じられた感性の目覚めの季節であるかもしれません。

大きなクモの巣が秋の日射しに白く光る。
朽ちた木のうろ。予感される秘密。
だれかの秋の置き土産。
ルリタテハという美しい蝶。

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