落伍者

 私にとっていつも生活ということが計り知れないほど困難で、ほとんど不可能であることが、自らのあらゆる失態で痛感させられます。生活を営むための最低限としての普通であるということ、一般的であるということがことごとく私にとっては尋常でない努力が必要とされるのです。そして私の人生において普通が一つも成功したためしがありませんでした。最初こそそのことを恥じ入る気持ちがありましたが、私は他人より劣っているのだと気が付いてからは、自らの中の劣等感を正しく認識し、同時に自身の無能を受け入れることにしました。開き直ったのではないのです、ただ分をわきまえようと、そう考えただけなのです。
 しかし、私に唯一出来ることといえば、周囲の他人を災いに巻き込み、心労を振りまくことだけでした。生活というものへ足掻こうとすればするほど、他人を自らの泥沼へ引きずり込んでしまう。いっそ抵抗せず何もかも止して、自分だけ沈んでいけば自分も他人もどれだけいいだろうと考えます。この考えは悲観的に過ぎるでしょうか。しかし安易に希望も描きたくはありません。人並みの希望は私には許されておらず、私自身のそれを見いだすことは、生活の何倍も努力と苦しみを伴うものなのです。それに希望という言葉もあまり好きではなく、口にした途端失われるほど陳腐なひびきがあります。希望を語ること、生きること、それ自体が自身の苦しみの根源になっているようで、私は周囲の足場ががらがらと音を立てて崩れていくような気がしてならず、もはや差し迫った時間の問題であり、ひとときの楽観すら許されていないかなり苦しい状況にあるといえます。

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