講演「内臓とこころ」三木成夫 感想


著者 三木成夫

 たとえば今の時期であれば、顔をなでる風に秋を匂い、夕方の日射しの色に秋を見ることができます。それらにはどこか懐かしさとある物悲しさを感じるのですが、そう感じさせるのは、秋になればキンモクセイは花を咲かせてその香りをただよわせるということや、秋にはだんだん日が短くなるというような経験や知識によるものではありません。秋の風と日射しを頭で理解して秋を感じているのではなく、それらの感覚がまだ脳に到達しない体全体でもって、つまり内臓の持つ感覚でそれらをとらえることで、どことなく遠い郷愁が自らのうちに呼び覚まされるのです。「内臓波動」とは、言葉として認識される以前のある現象に内臓が呼応して共鳴することをいいます。
 現代のホモサピエンスである私たちに至るまでには、生命誕生からの三十億年の折り重なりがあり、また私たちもその途上にあるといえます。私たちの体にはその三十億年の歴史と生命の記憶が刻まれていて、だからふとしたときの特別な感覚はこの肉体、内臓からきているのです。デジャブというものの正体はこの内臓波動からくるものではないかと私は考えますが、いずれにしても内臓に刻まれる自分でも意識されない生命の悠久の記憶が、自然を前にして感じるあの追憶やあこがれの念を思い起こさせるのです。
 とくに四季のある日本に生きる日本人にとっては自然というものがつよく意識されることが多いですが、自然のなかに生きるということはこの地球という星に生きるということで、つまり人間とは天体の星の生命の一つであります。太陽の光や月の引力が私たちの体や精神やこころに影響を及ぼしていることは科学的にも知られていることですが、それはとりもなおさず人間と宇宙は相互に連係していることの証左にほかなりません。
 三木成夫は天体を大宇宙というならば、人間の内臓は小宇宙であるといいます。自身に宇宙が宿っていることを自覚するとき、閉じられたこころの目が開いて、自分という人間は未だ無限の広がりを持っていること、そして生命の歴史からいって過去と未来を現代の自分が確かに繋いでいるということが明らかにされます。子供が夜空の星や月を見上げて指さしたり、あるいは大人が宇宙開発のどんどんなしていくというような宇宙に対する志向は、人類共通のふるさとを探し求めようとする人間の素朴な好奇心からくるものだというと、ロマンチストが過ぎるでしょうか。


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