小説「ロサンゼルスへの道」ジョン・ファンテ 感想


著者 ジョン・ファンテ

 少年と大人のあわいにあって、アルトゥーロ・バンディーニは大人たちに対して、女たちに対して、また世界に対して、不器用というには過激すぎながらも彼なりの愛情を持っていました。それはときには口汚い悪罵や短気な行動の形をとり、ときにはそうしてしまう自分を過剰に卑下して、自分の指を噛んで流れた血であわれな自分のために自分に祈るほど、彼の愛情は激しいものでした。背伸びした見栄っぱりの頭でっかちで、物事の分別や割り切りのできないところが、中庸をよしとしない彼の激情につながっています。彼にとってはあらゆるものが0か1かというものでしかなく、だからこそ消化しきれない矛盾のなかに生きる苦しみによって、愛情と憎悪のまぜこぜの感情が彼を支配するのです。しかし、それは曖昧さというものでもなく、妥協を知らない徹底したまっすぐさと純粋さの彼ゆえなのでした。
 彼は嵐に見舞われた船の上でのたうち回り、叩きつけられても、その嵐のなかで彼は自分の愛情の大きさを示すために、いちどきにすべてのものを抱きしめて接吻しようとしたロマンチストなのです。その姿はまるで、溺れさせようとしてくるものや軽蔑しているものすら愛そうと立ち上がる闘士だともいえます。彼こそ確かにあのつぶされた蟹としてのゴリアテであったでしょう。無神論をうそぶくアルトゥーロ・バンディーニはしかし、彼自身の信じる神によって彼の愛は何度だってよみがえるのです。

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