見出し画像

お金があれば、人生は幸せ?

※あくまで私見です。

お金があればたくさん旅行に行けるし、豪邸に住めるし、美味しいフレンチだって食べられる。普段はお財布と相談して泣く泣く諦めている320円の食パンだって買えるし、人気のエシレバターを持ってレジに並べると思う。

お金があれば、心の奥底の欲望をある程度は満たすことができる。
でも、お金=人生の充実だろうか?

友人が「いくらあってもお金が足りない」とか「給料メインで就職先選んだわ」とか言っているのを聞いて、違和感を抱いていた。

生きるのにある程度お金は必要。冒頭に書いたように、お金があれば大抵の欲望は満たせるし、幸せボルテージは上がるだろう。

私もそうなんだけど、ちょっとこんなことを考えていた。

「お金を積むこと=幸せ、は世界共通なの?」


おすすめに出てきたこの記事を拝読して、「これだ!!!!!」とビビットきた。デンマークに行ったことはないけれど、もうデンマークに猛烈に住みたくなってしまった。

この記事には本当に心に響く言葉がたくさん出てくるのだが、特に印象に残ったのがこちら。

本来お金は幸せな時間を過ごすためのツールであるはずなのに、日本ではお金そのものが目的になってしまっている。いつの間にか目的と手段がすり替わってしまっているのです。

私が悩み続けていた疑問の答えだ!!とはっとした。

外食よりもおうちごはんが好き。料理のプロセスや技を知るのは科学実験をしているようで楽しいし、店員さんや他のお客さんに気を遣うことなくおしゃべりができる。パン屋さんで買うパンはとっても美味しいけど、自分でパンを焼くと焼き立てが食べられるから幸福度がさらに高くなることにも気づいた。

好きな人に誕生日を祝ってもらえるなら、ブランドのお財布よりもお手紙や手作りケーキ、花束がもらえたらすごく嬉しい。最上級の贅沢は、小学校のときのように友達を大勢呼んで誕生日パーティーをしたい。そこで手作りクッキーなんてもらえたら舞い上がって喜んでしまいそう。

私にとっての幸せはどうやらそちらの方向性らしいことに今さら気づいた。

もちろんこの国にも様々な幸せの定義を持っている人がいるんだろうけど、上記の言葉にあるように、お金を手段として考える人が多いように思う。だから、。「みんなと一緒であることが正解」と思ってしまう私にとって、(もしくは、日本社会では幼稚園の頃からその思考を要求されているのかも、と近頃考えている。)この国にいる限り自分の思考をうまく保つことが難しいかもしれない。

大切な人と過ごす時間、大切な人を大切にできる環境、自分なりの定義を保てる場所に暮らすこと。夢の一つに加えたいと思います。

あなたがよんでくださって心がポカポカしています☕