夜中0時、玉ねぎをみじん切りしながら育休中のリスキリングについて考えていた。
時刻は夜中の0時、ぼくは玉ねぎを切っていた。
3時間の寝かしつけの末、ようやく眠った息子を起こさないようできるだけ静かに大量の玉ねぎをみじん切りにしている。
(ちなみに今はみじん切りにした玉ねぎを炒めながらこの文章を書いている。)
この玉ねぎは、明日のお昼のハンバーグになる。
今回は美味しいハンバーグの作り方、、、ではなくて、玉ねぎを切りながら育休中のリスキリングについてあれこれ考えていたので思うままに筆を走らせようと思う。
最近「育休中のリスキリングをあと押しします!」みたいなことがニュースになってざわざわしていた。
ぼくが見ていた感じだと「育休中は育児で精一杯で何がリスキリングだ!」みたいな主張が多かった印象。
一方、「私は育休中に学びを深めてキャリアアップしました!」みたいな声もちらほらと。
いろんな声を見て、自分も育休中に何か普段なら学べないようなことを勉強しておいた方がいいかな、、みたいな気持ちも湧いてくる。
自分の仕事に関連する書籍を読んだり、ネットの記事を見たり、いや、せっかくなら普段学べないようなことを、、
そんな想いが頭をよぎりつつ、自分の目の前にはやらないといけないことが次から次にやってくる。
朝起きて、娘と息子を着替えさせ、さっと自分の支度をして、家族の朝ごはんを用意して、急いで自分の朝ごはんを食べながら娘に食べさせて、食べ終わったら食器の片付けにテーブルを拭いたり、娘のベトベトの手や口を拭いたりと。
そしたら次に家中のゴミ袋をまとめてゴミを出し、洗濯機を回して、部屋を片付けルンバを起動して、あ、娘の歯磨きもしないと。
洗濯が終わったら干して、ルンバが終わったら家具をもとの位置に戻して。
娘の遊んでモードや、息子のギャン泣きをなんとかしながらやっと午前の一息。
家事が終わったら娘と全力遊ぶモード。
午前はだいたい外に出て、公園に行ったり地域の児童館に行ったりと。
朝から滑り台10周や、この寒空の下なぜか娘が座って公園の横に流れる川を見たがるので10分ほど眺めたり。
一通り娘が満足したら家に帰ってすぐにお昼ご飯の準備。
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もうやめておこう。
何が言いたかったのかというと、、
そう!
時間がないのだ!
明日、お昼はハンバーグにしたいのだけど、ちゃんと作ろうと思ったら時間がかかるので娘が待っていられなくなる。
だからいま明日(というか今日)のお昼のために大量の玉ねぎをみじん切りにしていたのだ。
ここまで書くと色々ありがたいアドバイスみたいなものはあるだろう。
スーパーでハンバーグのタネを買えばいいやんとか、もっと手軽に作れるものを作ればいいやんとか。
でも違うのだ。ぼくは自分の手で美味しいハンバーグを作って家族に食べてほしい。
***
まとまりがなくなってきたので話をリスキリングに戻そうと思う。
今回話題になった「育休中のリスキリング」の意味合いは、次のように感じている。
わからなくもない。
これからますます個人の時代になるとか、AIの台頭とか、自分でどんどん新しいことを学んでいかないとキャリアが危ないよと。
だから、育休中は普段の仕事から離れて違うことを「リスキリング」していこう、とあと押ししたかったのかもしれない。
ぼく自身は割と仕事が大好きで、仕事に関することは上司に言われなくても勝手に学んで勝手に仕事に活かしていけばいいと思ってる。
実際これまでそうしてきたし、育休に入るまでは「何を勉強しようかな」なんて考えたりもしていたり。
でも、育休に入って1ヶ月、いま感じているのは「少なくともこの状態で何か新しいことを『きちんと』学んでいくのは難しい」ということ。
もちろん、育児の隙間時間が0ではないのでその間に本を読むとかできなくはないが。
果たしてその「リスキリング」にどれほどの価値があるのだろうか。
息子が寝た時に、息子の寝顔をゆっくりと眺める時間。
娘が遊びたがってる時に全力で応える時間。
隙間時間の勉強をダメだと言いたいのではないけれど。
自分の人生にとって本当に大事な時間の使い方をぼくは自分で決めたいと思ってる。
***
人生を豊かに生きるために、ぼくはアドラーのこの言葉をいつも心の中に留めてる。
過去を後悔しながら生きるのでもなく、将来に怯えながら生きるのでもなく、いま、この瞬間に強烈にスポットライトを当てて生きる。
「育休中のリスキリング」は「将来のために」という思想とセットになる。
将来が不安だから、育休中のいま、勉強しておこうよ。
この感覚が、ぼくにはあわない。
ぼくはせっかく取った育休は、将来の自分のためというよりも、いまこの瞬間、家族とすごす時間を大切にするために使いたい。
そんなことを夜中0時、玉ねぎを切りながら考えていた。
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