私がASD、ADHDと診断されるまで

こんにちは。

発達障害(ASD、ADHD)のある、現役通信制高校生 チーズフォンデュと申します。


そういえば書いてないかも?と思い、私がASD、ADHDと診断された経緯を紹介したいと思います

心療内科の受診

中学3年生の時です

こころを病んでパニック過呼吸自殺未遂を起こすようになりました。


この頃は光が異常に怖く感じ、音が怖く、触覚が過敏になっていました

今思い返すとどう考えても感覚過敏です。

この頃の感覚過敏が、今のところ人生で1番酷いです


他にも、元々は少食なのにも関わらず
1日4.5食ほど食べていました。
(もちろん太りました)

中学生の頃は我慢の限界まで耐え、月1〜2回ほど仮病で休みつつ学校へ通っていました。

さらに週5回、仲が悪い & 女子だらけ…の人間関係ドロドロな部活に行っていました。


部活動自体は充実しており、正解の選択だったなとは思うのですが

あの頃のストレス過多な生活、今では考えられません(笑)


ある日、真夜中に泣きながらベランダにふらっと出た(自殺未遂)のを
起きてきていた母に見つかり、家の中に連れ戻されました。


流石に不味いと、母が近くの心療内科へ連れて行ってくれました

初めて心療内科を受診したときは「うつの疑い」で、
発達障害は全く視野に入っていませんでした。

ASDの疑い

中学3年生の時です。

うつの疑いで心療内科を受診し、ロールシャッハテストを受けました

結果は、「うつ病ではない」という診断。


この頃は本当に辛かったので、不服です…

この心療内科はあまり合わず、自分のことをうまく話せなかったので
大した事はないと診断が出なかったのかなと思います。


そして、この検査結果で「ASDの疑いがある」と言われました。


口頭のみの説明で記憶が曖昧ですが、

『ちょっとでも悪いことがあったらどん底まで落ちるね。ものすごくネガティブだね』

とネガティブ思考のお墨付きを貰ったことは、はっきりと覚えています。

WISC(知能検査)の受験。そしてASDの診断

高校に進学し、約2ヶ月で完全に不登校になりました。

高校のスクールカウンセラーさんに、WISCを受けてきてほしいと言われ受験しました。

これが、高校1年生の夏休みに入った頃です



実は疑われただけで、その後ASDの話はありませんでした。


触れられさえしない事に待ちくたびれ
WISCの結果が出た時、ついでに

『結局のところ、私はASDなんですか?』

と聞いてみたところ

『十分、ASDと診断できると思いますよ。』


放置されていたので「グレーゾーンで診断名はつかないのかも?」と思っていました。

うまく言えませんが、なんだか拍子抜けというか…
半年も放置されていたのはなんだったのだ?という気持ちでした。


もともと疑われた時点から、発達障害について調べていたため、障害受容もすんなり。

母も「やっぱり?」という感じで、するっと飲み込んでいました

発達外来への転院、ADHDの診断

通っていた心療内科があまり合わないと感じ、転院を決めました

高校1年生の冬ごろです。


転院まではすごく大変でした…

転院先は発達外来で、発達障害のための病院です。


母から幼少期の話も聞きつつ、ADHDに関する
チェックリストを記入しました

そして、不注意優勢型ADHDと診断。

自覚症状は多動だけでしたので、かなり意外でした。


母も幼い頃に座って食事ができなかった私に困り、
「ADHDかもしれない」と思っていたらしいです。

(幼稚園で座って話を聞けていたので、
「座っていられない程ではないから、ADHDではなさそう」
と相談センターには連れていかなかったそうです)



"できない" をコンプレックスに思い、悲観的になっていた時期もありました。

精神障害者保健福祉手帳を取得して
"障害者" として生きる方が私はのびのびとしていられる
と気付き、

今は「発達障害は私に神様がくれたギフト」のように思えています。

生まれ持った特性が、私の強みになるので
どうすれば活かせるかを模索中です



ご拝読ありがとうございました。




そこそこ新設コースで、情報がまだほとんどないのですが
在校生目線で「在籍中の通信制高校のコース紹介」をしています。

非通学型を極めたコースを紹介しているので、気になった方は読んでいただけると嬉しいです

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