なぜ私の発達障害は幼少期に見逃されたのか

こんにちは。

発達障害(ASD、ADHD)のある、現役通信制高校生 チーズフォンデュと申します。



私は高校1年生でASD、ADHDと診断されました。

小学校と全日制高校で不登校を経験しており、
今は自分に正直に無理しすぎず生きる道を選びました


母によると、幼い頃から私は
「周りの子と明らかに違うことが多かった」
と聞いています

ではなぜ幼少期に発達障害と診断されなかったのか、
私なりに考え、母にも少しだけ意見をきいてみました。

幼少期の私の様子

導入(?)として、幼少期の私はどんな子だったかをご紹介します。

① とにかく活発で、よく動いた

今なら分かります。"多動" ですね。


一歳半か、二歳か、三歳の検診の時(母の記憶が曖昧でした)に印象的だったことがあるそうで、

他の子はみんな(眠い時間だったというのもあり)おとなしく座っているのに、

私だけはあっちこっちをぐるぐる…と動き回っていたそうです。


② 座って食事ができなかった

①と多動でかぶりますが、印象的でしたので分けました。


座って食事をすることができず、一口食べたら歩いてどこかに行ってしまう。歩き回る…


幼児の頃は、毎食一時間もかかっていたそうです。

お母さんごめんなさい…


私の記憶では、「座って食事ができない」というのは
小学校4年生まで続きました。


自主的に治そうと頑張り始めたのですが、生まれ持った
多動傾向を治すというのは大変で

やはり、座っていることが苦痛に感じ
なかなか辛かったです


③ 発達が早かった

母曰く、
『とにかく発達が早くて、やれないことは無かった』
『でも他の子がしないことをした』

『何なら他の子がしないことをやり過ぎて、何が他の子よりできるのが遅かったか分からない』


話すことがとても早く、
一歳半で "文章" 
をしゃべっていたそうです。

「一歳半で日本語ペラペラだった」とは以前から聞いていたので、

てっきり3語文かと思っていたのですが…
まさかの文章でした。


手先も器用で、私は一歳でみかんの皮を剥いていたので

下の子が、幼稚園くらいまで
バナナの皮を剥けなかった事に驚いたそうです。


( ④ 目が合わない )

乳幼児期から現れる、自閉症の特徴である "目が合わない" ということが少しあったそうです。


「母乳をあげる時、赤ちゃんと目が合う」
と私が生まれる前に聞いていたそうなのですが

私とは目が合わず、『なんだ合わないじゃん』
と思ったそうです(笑)

思いつく原因 〜環境〜

① 第一子だった

私は長子で、さらに初孫でもありました。

両親に子育て経験がないために、身近なところに
比較材料が少なかったのかな?と思います

② 祖母(近くに住んでおり、子育てに参加していた)が
とても楽観的な性格だった

祖母はとても楽観的な上、思い込みが激しいがために、自分の考えを相手に押し付けてしまうタイプです。


今でも感じるのですが、
祖母は私の言動がいわゆる「普通」から外れているとは
気づいていません。

自分の考えはいつも正しいと思い込んでいるためか(?)
「普通だ!」と言って聞いてくれないのです


祖母に『私は聴覚過敏なんだって』と伝えた時
『そんな訳ない』と真っ向から否定されました。

本当に「私」を見てくれているのか。
本当にこの人は「私」を理解する気持ちがあるのか。

そう思いましたし、なんとも言えない感情でした

③ 母が支援センターなどに相談しなかった

母は私の「落ち着きのなさ(多動)」からADHDを
疑ったこともあるそうなのですが

『まぁいっかぁ』と思い、支援センターなどで相談をしなかったそうです。



小学校中学年で不登校になった時、療育センターに予約をした事があったそうなのですが

長い予約待ちをしている間に通えるようになってきて、キャンセルをした…とも聞きました


思いつく原因 〜私の特性〜

① 発達の遅れがなかった

繰り返しになりますが、私に発達の遅れはなく
むしろほぼ全て早かった
そうです。


どうやら早すぎるのも良くないそうなのですが

知的な遅れの心配は無いため、検診などで指摘されることがなかったのではないかと私は思いました。

② 外(幼稚園など)ではかなり適応できていた

私は保育園は行っておらず、集団行動は幼稚園が
はじめてでした。

幼稚園では、1人だけ歩き回ってしまうということもなく
座って先生の話を聞けていたそうです。


(今は内向的ですが)人見知りしない人懐っこい性格で、安定していたため攻撃してしまうこともなく

孤立せずお友達も居ました。


これも発達障害の可能性を指摘されない原因に
なったのかなと思います。


真面目でしっかり目な先生からは

『気が散りがち』

と言われていたそうなので、注意欠損はやや目立っていたようです。


幼稚園で問題がほぼなかったことから、母は支援センターなどで相談をしなかったそうです

支援を受けずに育ってきて


正直もっともっと早く発達障害が発覚していれば、経験しなかっただろうな…

という辛いことはいくつもあります。


育てにくい特性を持つ私を育てる大変さ、それに伴うストレスなど

支援で軽減できて、もう少し家族にも
楽をさせてあげられたかもしれない…

そんなことをよく考えました。



手帳を取得し、"障害者" として生き始めて約一年。

今の生活の方が合っており、楽しいです


「もっと早くに発達障害に気づかれたかった」
「幼い頃に支援を受けたかった」


そう思っていた時期もありますが、現在は

「健常者として育ってきたからこそ、今の私がある」

と思えています。


ただ、子どもの発達が気になる親御さんには

私の母のように『まぁいっかぁ』と放置せず
相談して欲しいなと思います。

ご拝読ありがとうございました。




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