Cheer Up!にたどり着くまで。その5

mixiにハマっていたのは2005年~2008年ごろだったでしょうか。
一時期は毎日のように日記を書いていました。
サンシャイン牧場にもハマりました。
友達作りにも夢中で、ジャンルでいえばインディーポップ、オルタナティブを中心とした音楽を演奏しているミュージシャンとたくさん知り合いました。
現在、Cheer Up!に登場して下さっている人脈の基礎がこの時期にできたと思います。

2006年に大病をして1か月半入院しました。
この時もマイミクさんたちには随分励まされました。
入院中、「いつか音楽のzineを作ってみたいな。いや、"いつか"なんて言わず、体調が良くなったらすぐやろう!」と思いました。

と言いつつも、入院でお金がかかってしまい、そんなにすぐは取り掛かれず…。
病気になったのはストレスも大きな原因だと思ったので、とにかく仕事で「嫌だな」「無理だな」と思ったらすぐに辞めることを心に決めたのです。
なので、週末だけ家電量販店で働いたり、短期のコールセンターで繋いだりして、仕事が安定しない時期が続きました。

2008年の秋、突然音楽マガジンを作ろう!と動き出す決意が固まりました。
映画「ハンサムスーツ」を観に行き、大笑いして切ない気持ちにもなって、「何かを創るってすごいな!自分も何かを創りたい」という気持ちになったのです。
気持ちのアップダウンが激しい面があるので、「やっぱりやめとこ」って思うことも多いのですが、この時の決意は固くて、mixiに「印刷代をみんなで出し合って音楽雑誌を作りませんか?」と募集しました。
思いがけず反響があり、けっこうな人数が集まりました。

歩いている時にふと「Cheer Up!」というタイトルが降りてきました。
音楽マガジンを作ることでまず自分自身を元気づけたい。
参加する人も、読む人も、みんなが元気になるような楽しい嬉しい音楽マガジンを作りたい。
そういう気持ちでした。

「Cheer Up!っていい名前だね。打合せしよう!」と連絡をくれたのは、東京から病気療養のため仙台の実家に戻っていたTさん。
音楽プロデューサーで様々なイベントを手掛けている人で、やはりmixiで知り合いました。
Tさんの知識は豊富で、パリで売っていたというソノシート付ZINEの話を聞かせてくれたり、自分の人脈も役立てたいと言ってくれました。
常盤響さんがカエルの可愛いロゴを作って下さったり、松田CHABE岳二さんが冊子に登場下さったのはそういうご縁でした。

2008年の秋に思い立って企画を立て、50人ほどと常にメールのやりとりをして、時にはトラブルがあって不参加になる人がいたり、気持ちがくじけて頓挫しそうになったり、本当にいろんなことがありました。
「Cheer Up!」というからには、読んで嫌な気持ちになるようなことは載せたくない。そういう方針に合わない原稿をお断りすることもありました。

インタビュー記事、コラム、セレクトCD企画、ディスクレビューなど沢山の記事がまとまってきたものの、デザインして下さっている方々が本職も多忙でなかなか進みませんでした。
お仕事で残業も多いなか申し訳なくて、自分もエディトリアルデザインを勉強しておくんだったと後悔しました。でも、すぐに覚えられるものでもなくソフトを買うお金もなく、2009年の春が近づいていました。
一刻も早く発行したかったのは、Tさんの病気が重く余命宣告を受けているという話を聞いていたからです。
途中から東京に戻ったTさんですが、自分が紹介した人たちがかかわっているマガジンなのだからと、いつも連絡をくれて、配布方法にまで気を配ってくれていました。
2009年5月に5000冊の「Cheer Up! vol.1」が完成したけれど、Tさんに渡すことは叶いませんでした。
何の病気だったのかは今でも知らないのですが、Tさんの最晩年を忙しくさせたことは長年Tさんと親しかった方々から恨まれたのではないかと思います。直接誰かから何かを言われたわけではないですがいろいろあり長い期間気持ちが沈みました。
約50名が関わってくれて完成した「Cheer Up! vol.1」。もちろん愛着があります。
でも、vol.2を作ってみたいとは思いません。
デザイン雑誌などを見ると「やっぱり紙モノを作るのはいいなあ」ってテンションが上がりますが、それなら自分以外の人が編集長で、自分がメンバーとして関わるのがちょうどいいと思っています。
今もあの時期を思い出すと気持ちが沈みます。
でも、Tさん、常盤さん、チャーベさん、一緒に作ってくれた方々にはとても感謝しています。


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