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きれいな文章書かせろくださいやがれです。

きれいな文章を書く人に対して憧れがある。

きれいな文章。なんとなくわかるだろうか。白く細い糸に導かれるような文章のことだ。

白い印象はイメージに透明さを与える。ここは現実ではないけど、かつて確かに誰かの現実であった場所なのだと白く鮮烈に焼きつけてけてくる。

細い印象は繊細さだ。書いた人がどうしても今まで手放せなかった記憶を震えながら差し出してくれるような、人として大切なものを懸けた緊張感に包まれる。

糸のような文章だ。本当に伝えたいことがあるときの切実な思いが限りない純粋に至ったときの、どこを見ても過不足の見当たらない状態。これを完璧や一貫性と呼ぶに無粋である。

そんな文章を目にしてしまったとき、自分は軽い畏敬を覚えてしまう。
こんな文章を書かざるをえないとはいったいどんな状態か。何があったらこれを書くに至ってしまうのか。その人生に当てられて眩暈と恐怖が湧きあがる。

そんな文章を書いてみたい。いいか、絶対そんなことを言ってはいけない。
そんなことは言わせない。とても言えない。こんな自分が言うわけにはいかないのだ。

それ故に、だからこそ、憧れるのだ。
そしてこの憧れは一種の倒錯的な感情から生まれた歪なものである。ありていに言ってしまえば、これが自分のコンプレックスだ。

在り得べからざる人生への渇望と憧憬。自分だったかもしれない可能性。類似性により際立つ相違。劣等感と醜い安堵。そんな全てに吐き気を催し、なお重ねるのを止められない。

そんな異情を「きれいな文章」などというあまりに当たり障りのなさすぎる言葉に込めることへの極まるフェチズム。

それに近づきたいと願い、模倣しように感じる限界。やはり自分はそれにはなれない。それでもせめて真似るのは近くに行きたいと思うからなのだろうか。そうして今日も蜃気楼を追いかける。


自分は真っすぐ進めているかな?







◎すぺしゃるさんくす