つかれてるとかけない

疲れてると書けない

疲れてると本当にかけない

風邪が治って普通に授業を受けてるのだが頭使いすぎてこんなに疲れたのかってなっている

今だってスマホの音声入力でブラウザから直接吹き込んでいる

後でPCで整形し直すつもりだ

(※やってます。)

これぐらいでいい

自分が書けるだの書きたいだの何だの言っていたのはただ疲れてないだけだと気づいた

書くためには脳力が残っていることが必要だ

脳力は使うと減る

使わないと残る

だからたくさん頭を使った日はかけないほど疲労困憊している

YouTubeを眺めて、メモアプリに向かって思考の残飯を吐き出して、書けない書けないと唸るのが関の山だ。

だからこんな風に音声入力なんかに頼っている

これはそのまま書いたらどうなるだろう

正直めっちゃくちゃ楽だ

最近タイピングの速さも別次元に到達したような気がするけどこれはその日じゃない

楽すぎる

文章を書くことは頭を使うことだ

頭を使うことは疲れる

疲れるし時間がかかる

だから自分は今まで日記を夜に書くという生活をしていた

だがどうせ時間がかかるしだったら朝に書いてしまってもいいんじゃないかと気づいた

つまり、今まで行っていたようなことは朝に移しても成立するのではないかということだ。
今までの自分の文章(ここ1か月書いてきたようなもの)は、基本的に実験として継続させることそれのみを目的としていた。
だが、これからは実験的に朝に書いてみようと思う。
そうしたことに興味を持った理由、それは脳力仮説だ。上記までで特に説明なく導入していた脳力という概念だが、それは自分の脳がまともに働く時間のことを示している。お金のように、使ったら減る。寝たら戻る。
さらに自分の思考活動に大きな影響を与えていることがある。それは思考をしようとしたときにそれにまつわることを逐一どこかに書き出さないと煩悩に埋もれてしまってまともに掛けなくなる点だ。
これらの厄介な所として、何をするにしても、それが知的な活動であるならば脳力と掃き溜めを要求してくることだ。
つまり、多すぎてもゴミばかり生産するし、少なくなるとまともに働かないということだ。なんなんだこいつ。
だったら、朝の一番活発でゴミも少なく、脳力も多く残っているときに心配事などを解消してしまう、時間・習慣・脳力を朝という”給料日”に全ツッパしてしまえということだ。
自分が今まで頑なに朝を目していたのはこれが理由だ。(という後付けである)

最近朝にすることが増えているような気がする

散歩も行きたいし勉強もしたい朝は寝たいし夜はずっと活動してたいし本当のやりたいことが多すぎる
本も読みたいし

やりたいことがいっぱいあるのにできない

それが考えるということに限界があるのだということ

お金のように脳力が使ったら減る

あまりに使いすぎた分は次の日の借金として残る

それが積み重なって1日何もできない日が起こる

こんなことでいいのかもっと次の日のことも考えて行動デザインすべきではと思った

勉強ができないのはしょうがない

勉強するためのルール場所時間ルーティンが全く定まってないからだ

これは増やそうと思って増えるものではない

体力と同じようなものだ

自分は時間もない

体力もない

習慣もない

規則正しい生活習慣もない

だからこういうことを始めるためにまずそこから考える必要がある

ノートも必要だ

ペンも必要だ

お金も必要だ

そうだ
普通に普通の人間はこんなことを全く考えずに入れていたのだ

小学校からの習慣化の賜物だ

俺にはそれがなかった

今まで何と無駄な時間を過ごしてきたのだろう

大きい買い物はお金が残ってる時にしかできない

頭も同じだ

自分はお金をたくさん持つと無駄遣いしてしまう

時間も同じだし頭も同じだ

一番お金がある時期に一番大切なことを早く終わらすべきなのだ

お金を使ったら減る

頭も使ったら減る

このことをようやく理解できた

弟がこの間言ったのはこういうことなのかもしれない

たぶん夏ごろの夜の話し。弟が思考リソースって使ったらなくなるよね、みたいな話をしてきた。自分はそれに対して意志力ーウィルパワーみたいなものがあるよ、といったことを答えた。目に見えないものを定量的に扱うのって大事だよね、そういう風に扱えるように概念を定めるのっていいよねといった話だった。自分はそういった概念だけを無駄にコレクションしていたのだが、実感という面で全く追いついてなかったのかもしれない。現に、こうして周回遅れほどの差で遅ればせながら気づくことになったのだから。

気づくのが遅い

これから勉強の仕方を完全に抜本的に刷新的に変えていく必要がある

今ようやく気づいた

暇だのなんだの言っているが結局はただの無駄遣いだ

時間・脳力・お金

結局これのこれぐらいのやりくりを考えないといけない

それができるかどうかが問題だ

(後でどうせ編集し直すから思ったことその場で言っていいのめちゃくちゃ楽だな)

こんな風にいろんなメモアプリを使いこなせるようになりたいわ

一番いいのが日記型のメモアプリ

らくらく

何書いてもいいのが大きい

メモ帳に音声でばーっと書いてもいいんだろうけど結noteが一番楽かな

変換がカスすぎるけど

Firefoxと相性が悪いのかもしれない

よくわからない

でも今のところ音声入力とは全く問題なく作動してくれているし

疲れすぎるとキーボードすら叩く気力が起きなくなる

でもこういう時に限って色々と頭の中を整理できたりするぐらいの時間を使って頭を使っていたから言いたいことは割と定まっているような気がする

(ここの発言の意図を解説。夜キーボードに向かう気力も残らないほど疲れているとき。そういう日はつまりたくさん勉強をした、頭を使ったということだ。ならば必然的にメモなどに落書きをたくさんしているということになる。それらを使って頭の中はかなり整理されているはずだ。言うことはできてるが、それをうまく言葉にするだけの体力が残ってないと言えるかもしれない。こういう時に役に立つのがこういった音声入力ということだ。ちなみに今日はあえてこういった音声入力とキーボードを使った訂正箇所を目に見える形で残してある。この画面だって置換機能などを用いて不要なスペースを取り除いたりスカスカな改行をたくさん用いたりしている。こういった作業は圧倒的にPCの方が楽だ。結局PCで作業しているのなら意味がないような気がするが、料理するための材料、雪だるまの芯、そういったものすら用意できないときはこういった手法に頼るのも必要ということだ。今日は練習兼実験としてプロセスを目に見える形で残すことに注力し、手間を減らすことに関してはあまり成果を残せなかったが、似たようなことを何度も繰り返していくうちに徐々に洗練されていくことだろう。)

疲れてる時ほど書けないし

疲れてる時ほど目も痛いし

指も痛いし

無駄なことが頭の中からどんどん溢れてきて全く整理できないし

そういうものかもしれない

そういう時は目を閉じて

スマホを口に近づけて

思ったことをそのまま言う

これが一番早くて楽なのだ

音声入力さすがですわ

そうだね

頭をいっぱい使った日は何を言うべきかはまとまっているのだけどそれを出力するというのが一番難しい

この出力はこんなにも楽になったらほんとこれから色々できるかもしれない

どうせ後で編集すればいいと思うと

唐突のことを言ったりしゃべるのがちょっと下手でも構わない

かもしれない