チュチェ思想研究会に誘われました
「北朝鮮はコロナ感染者ゼロだからね」
「え……」
「それはみんなが助け合っているからだよ!協力してるから!だからこうして”自然の主”に打ち勝てたんだよね!」
「そうだ!君も一緒にチュチェ思想の勉強会に参加してみない??」
その日、僕はコメダ珈琲の窓際の席で先週あったばかりの男性と世界の行く末について話し合っていた。ことの発端は先週の日曜に遡る――。
その日は大学の学園祭だった。僕は2日目の午後に文芸部が開いているカフェで客の寄り付かないのをいいことに先輩たちとボードゲームをやっていた。やる気のない内装に奇を衒っただけのメニュー。100均のテーブルクロスに誰も読もうともしない中古本を並べ、隅にはさも自信ありげに去年までに発行された部誌が積み上げられている。展示内容は部長が急ごしらえで誂えた殺人ミステリ。解決すると既製品のお菓子が二三個入った紙皿が貰える。
しばらく観察していても、通りかかる人たちはがらんどうの教室を見ただけで視線を前へと戻してしまうし、入ってくれた人たちも一人で席に着き新刊を買ったらすぐに出て行ってしまう。酷い有様だ。だが、それを言ってしまうと僕たちだってそうだ。客なんてほとんど来ないのでシフトを持て余してる。暇だ。だったら遊ぶしかないじゃないか。机の上には先輩が部室から持ってきたボドゲ。どうせだったらボードゲーム喫茶とでも名乗ってればよかったのに…と思いながら、僕はサイコロを振った。
試合も中盤に差し掛かったころ、声のでかい客が入ってきた。二人組だ。イラッシャイマセー。
「へえー、文藝喫茶だってー。どんなことしてんの?だれか接客してくれない?」
高齢の男性二人組だ。一人はやたら声がでかく勢いがある。反面、もう一人はおどおどしてて声が小さい。耳には補聴器がついていた。
「接客がお望みですか?だったら隣は若い女の子いっぱいいますよ」
となりの教室ではご当地アイドルが歌って踊るコンカフェをやっていた。
「女の子には興味ないんだよねー」
あはは。
「だれか隣に座ってよ。お話しよー」
ボードゲームはまだまだ中盤だった。だが、
「あ、いいっすよー」
秒速で返事する僕。ちょっと引いてる先輩。
「もうひとりいない?」
「あ、じゃあ……」
先輩も立ち上がり、一緒のテーブルに着いた。
「文芸部なんだって?じゃあやっぱり文学部なの?」
「理学部です」
「へー!理系なのにすごいねぇ。ねえねえ、この子理系なのに文芸部だって!」
隣の人に話しかけた。
「理学部ですか……じゃああれですよね。アインシュタインとかやるんですよね」
雑な認識だ。
「そうですねー。最近は量子力学とかー、ハイゼンベルグとかー、あ、テイラー展開とかやりますねー」
適当にフカしておく。
「へぇ……いやはや、そのへんのことはさっぱりなんですが……」
しばらくおっさんが知ってることを話し、それに対して僕が訂正していく会話が続く。
「それでですね、天動説が否定されて地動説が……」
「アインシュタインの見つけた相対性理論が今でも使われていると……」
「原子の存在が明らかになったのは古代からの試行錯誤のおかげで……」
はいはい。そうですねー。はいはい。話はいつのまにか政治方面へ。イスラエルとかがホットだったころ。
「結局、あれって宗教対立がどうのこうの言ってますけど、要は宗教が戦いを起こして相手を支配する口実に使われてるだけですよねー」
そう言った瞬間、やたらと感心された。こちらも気分がいい。
「そう!だからみんながお互いのことを深く思いやって、深く知ることが大切なんだよね!」
おおう、やたらと食い気味だけど、まあいいや。こっちも相手の興味ありそうな話を続けよう。
「グローバルサウスと貧困って、結局支配を見えなくしてるだけでー」
「結局、強い国が弱い国を支配するのに都合のいい理論を強いてるだけなんですよねー」
「お金の本質は労働でー、でも現代はお金そのものに価値があると勘違いされていて―」
適当に、聞きかじった話をそれっぽく話す。このへんから、相手のテンションの上がり方が尋常じゃなくなってくる。だが、当時の僕にそれに気づけるだけの力はまだない。
「某北の国とかもそうですけど、主席とか書記長とかいって、結局自分がいいようにしたいだけじゃないっすか。チュチェ思想でしたっけ?あれって支配からの独立のために必要な思想であって、それを利用して民衆を支配するのは無理がありますよねー(適当)」
「なんと!ご存じでしたか!実は私もチュチェ思想を学んでおりましてね。実は北朝鮮は人民が助け合って生きている国でね。テレビとかネットとかじゃすごい貧困国家みたいに扱われてますけど実際はそんなことはなくてみんな自分に必要な分だけやっているとってもいい国なんですよ。そしてそのために金日成主席がご尽力為されて、最後は人々に惜しまれながら亡くなられたんですが、最後まで人民のことを憂いていらして……。」
あれ?そうだっけ?自分の中じゃ北なんてロケットマンで人力スクリーンの恐怖政治の脱北まみれ、黒電話ひとりがぷくぷく太ってる可哀そうな独裁国家で地上の地獄、生まれ変わってもそこだけは嫌な国No.1だったのだが……
「へー!そうなんですね!知らなかったなぁ!」
「そうなんですよ!世間一般では悪いように言われてますけどね!」
「なるほどー!」
僕だけが知らなかったようだ。さすが、世界は広いなぁ。
「いやー、楽しかったです!とってもためになるお話が聞けました!よければまたお会いしませんか?」
「いいっすよー」
「じゃあここに名前と連絡先を……」
彼はお買い上げになられた部誌にマジックで大きくメモしていた。サインをねだられたので大きく書いてあげた。そしてその後の僕はというと、部誌を売れた達成感でいろんな人に自慢して回っていた。
「やたらおっさんに気に入られるんだよね笑自慢じゃないけど笑……あれ?ほんとに自慢じゃなくね?」
そして後日。スマホに連絡が来る。
「先日お会いした者です!近くに行くので会いませんか?」
「いいっすよー」
「ではコメダ集合で。おねがいします」
そして今日。
「あ、部誌読みましたよー」
ありがとうございますー
「ところで、こないだの話ですけど……」
ここからが今日された話。要約すると、朝鮮出兵・千利休・豊臣秀吉・拉致・慰安婦・沖縄基地・パレスチナ・イギリス・三枚舌外交・原爆投下・ポツダム宣言・ヒロシマ・ナガサキ・平和教育
以下、特に香ばしい発言を抜粋。
「ハマスって日本じゃテロ組織みたいに言われてますけど、あれって大国の支配に対抗するための活動ですし、地元じゃ民衆の為にも働いてて、まあ実際ボランティアみたいなものですけど、つまりあれがテロっていうのはアメリカ側のイメージ操作ですよね」
「実はローマの方では社会を変えるための会議が行われていて、あ、裁判長とか結構偉い方も来てるんですけど、これで世界の少数民族の権利を守るべきだって結論になったんですよねー」
「日本では原爆教育が行われてますけど、あれっておかしいですよね。だって原爆は悲惨です!よくない!って言ってるだけじゃないですか。どうして原爆を落としたアメリカはよくないっていう風に教えないんですかね?朝鮮の方ではそういう風に教育されるんで最初すっごい驚きましたよー」
そして……
「北朝鮮はコロナ感染者ゼロなんですよ!何故ならそれはみんなが助け合っているからです!協力してるから!だからこうして”自然の主”に打ち勝てたんですよね!そうだ!貴方も一緒にチュチェ思想の勉強会に参加してみません??」
ここまで来てようやく僕は気づいた。
これやばいやつだ!(おせえ!)
北朝鮮が公式でゼロコロナを発表しているのは知っていた。だが、目の前のこいつはそれを完全に信じ切っていたのである。それまでのことは、まぁ、個人の思想や不確定な情報で済ませられるとしても、これだけは流石に世界情勢と統計についてYoutubeで動画を見漁っている自分だからおかしいと気付けたのだ。
やばい。コメダやルノアールがマルチ勧誘などの狩場になっているという話を聞いてからいつかぜひともその現場を拝んでみたいなどと思っていたバチが当たった。まさか自分がその当事者となるとは。不覚。こんな経験は初めてだったのでホイホイついてきてしまったのだ。カモネギどころではない。僕ってそんなに御しやすそうですか?騙しやすそうですか?いや、そうじゃないな……これは自分が相手を焚きつけるような発言を不用意に繰り返してしまったことが問題だった。
「教科書は……じゃあ、この本をあげるから、次までに一つでもいいから読んできてね」
中を見ると、先ほどのローマの会議とやら、出席はもれなくいい歳こいたおっさんまみれ。会議とかなんとかいうから国連みたいなのかなーって想像してたらたぶんうちの大学の教室よりも狭い部屋、少ない人数。騙された!内容はどれも簡単にわかりやすいようなエピソードと漠然とした概念の羅列。因果関係を不当に明確にした記述。そしてすべての帰結は当然民族主義、そして反帝国主義。自主(チュチェ)の思想で世界をよくしよう!で終わっている。
……これはあれだ!うちのじいちゃんの言説とよく似ている!
うちのじいちゃんは右翼だ。絶望。とりあえず誰かから聞いたような話をそのまんま話すような深みのない内容、まとめられたものを読んでるせいか偏る思想。家の書斎には同じ人が書いた本、書いたブログ、セミナーのポスター。自分の気に入らないものを正当化するためなら怪しい思想にも喜んで飛びつく判断力のなさと過ちを認めたがらない頭のカタさ!あーあ…。
どうしよう。来週の勉強会の約束しちゃったァ……。こんな文章でまとめてるうちに本気で行きたくなくなってきちゃったァ……。
でもまぁ、少なくとも組織的に勧誘しているわけではなさそうだ。恐らく、たまたま乗り込んだ学園祭でたまたま同志!と巡り会えたからつい勢い余って誘っちゃっただけだろう。場所は公民館だし、開催は僕の予定に合わせて突発で決めたし、なんならその場で電話で誘ってたし。文化祭に一緒に来てた声のでかい人だ。
彼らはきっと悪い人ではないのだ。ただ、孤独になると、齢を取ると人間誰でもそうなる可能性があると考えたほうがいい。だれだって独善的に他者を裁く快楽は知っているはずだろう。(この記事がそうだし。)せっかくだから乗り込んで、もっと情報を集めてこようと思う。ただ、急にこのnoteの更新が途絶えたり急に僕が民族主義に目覚めたりした日にはどうか目を覚ましてやって欲しい。
次回!来週土曜更新予定!お楽しみに!!
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