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人と人が語り合い「対話」をすることが、様々な場面で用いられていますが、私的には壁にぶつかっています。本で読むほど簡単に先に進めないなと感じているのです。

そんな中、今日この本の読書会に参加し、その先に小さな光が見えてきました。

筆者は社会構成主義の第一人者ケネス・J・ガーゲン。彼は、人は対話を通して意味を作っていくのであり「言葉が世界を創造する」としています。
彼は、著書である「現実はいつも対話から生まれる」において、対話をこのように説明しています。

現代社会において、私たちは偏見、迫害、不正、残忍行為を前に無言でいることなどできません。しかし構成主義者にとって、自分が嫌悪するものを蹴散らすのは、間違った行為です。それは「唯一無二の真実」が稼働していることになります。
構成主義者は、新しい真実や新しい価値観が現れてくるような対話の仕方を支持します。課題は「唯一のベストな方法」を突き止めることではなく、お互いに「コラボレーション(連携)」して私たちの未来を創造していけるような関係性を築くことなのです。

この部分について大いに共感しており、現在私が行っている授業でも、カウンセリングでも、読書会などの集まりでも、研究でも、語り合うことを積極的に取り入れています。そこには、語る人の「唯一無二の真実」があるのかもしれませんが、関係の中で語るために(あるいは語りながら)「構成」され、他者の問いに答えることにより「脱構成」され、元々のストーリーが「再構成」されていき、新しい未来が立ち現れることがあるからです。

しかし、更にもう一歩進めないか? 進めないのはなぜか?
読書会を振り返り、さらに文献を見ながら2つの原因に行き着きました。

1つは、私の目の前に広がる語りに、「私本人」が存在していなかったこと。
授業であれば学習者、カウンセリングであれば相談者、集まりの場であれば参加者、研究であれば研究協力者。そればかりに目を向けていました。それも、どこか参加している個人にばかり目を向けていたように思います。もちろん、グループダイナミクスを意識し全体の関係性を考えながら観察していたはずですが。しかし、場を考える時、確実にそこには「私本人」がいませんでした。私が場を作り、必要であればそこに介入しているにもかかわらず、私の考えの中には「私本人が存在していない」。それに気づきました。

これに気付けたのは、「関係からはじまる」という本を読んで「境界確定的存在(bounded being):個別的な存在」と「関係規定的存在(relational being):関係に規定される存在」を知り、読書会で参加者の経験をし会の運営を参加者目線で見ることから、この気づきに繋がりました。特に、主催者である安永悟先生(久留米大)が読書会の中で以下のように話してくださったことが大きかったと思います。

研究をする際、目の前に状況だけを自然科学として捉えていた。つまり、そこに「私はいなかった」が、社会構成主義では、そこには研究者としての「私も存在する」。

「なるほど。研究においても、場合によってはその視座を持つのか」と(分かってはいたものの、やっと)肚に落ちた時、自分の目の前に広がる世界に「私自身」がはっきりと立ち現れてきたのです。


そんな感覚の中、自分の関わり方にどうやったらブレイクスルーを見ることができるか?と考えながら、日本語教師仲間から勧められたこの本をパラパラと見ていました。そこに、2つめの「進めない原因」を見つけたのです。

教師も「共同社会の一員として」「毎日顔を突き合わせて協働する」ことに取り組み、そのたびごとに自らを成長させ、その場が創造の「ふるさと」になることを経験し続けること…
クリエイティブ・ラーニングにおけるそのような教師像を…「ジェネレーター」(generator)と呼んでいる。…ジェネレーターは、つくり手のチームの一員として、創造を進めるとともに、そのためのコミュニケーションも誘発していく。…
加えて、教師としてのジェネレーターに求められるのは、その創造において起きていることや起きたことをメンバーに説明し、教授ー学習を実現し、その活動を振り返るきっかけをもたらすということである。デューイの言い方で言うと、「内省的思考」による「意味の追加」によって「経験の再構成」をする支援であり、コルブのラーニングサイクルにおける「内省的観察」と「抽象的概念化」の支援である。

このページを開いた時、「ジェネレーター」という言葉がぽーんと飛び込んできました。それに反応するように読んでいたら、どんどん閃いてきました。確かに、これに似たような介入は無意識ではあるけれど行ってきていました。でも、無意識であって、その介入方法も介入の効果も中途半端でした。←ここ、2つめの原因。
ですから、これをまずは意識化し、自分の介入方法として身体化させないといけません。それにはもう少し知識を入れてから…。

そして、授業や場作りの設定をアップデートさせたいよなぁ。もっとクリエイティブに。これは本に引っ張られた訳じゃなく、以前から考えていたことですが。一気にはやれないので順に…。

とにもかくにも、4月からの課題が決まりました。
「対話」の進化形に、いつどう辿り着けるか?まだわかりません。ガーゲンのいう「コラボレーション」のある語りの場を生み出せるのはいつの日か?
でも、生み出したい!目標は定まったので、インプット⇄実践ですなぁ。
何だか新学期が楽しみになってきました。

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