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神様はちゃんと見ている。ただ、自分の信じた道を進めばいい。

子供の頃、母に言われた言葉。
「神様はちゃんと見ているから大丈夫。」
何が大丈夫なのかよくわからないまま、うーん。。。
と曖昧な返事をした小学生時代。

小6の卒業式前にその言葉をふかーく実感することになり、以降、私のお守りのような言葉になっています。


父の仕事の都合で転校が多く、小学校は4校。大概、転校当初はクラスの中心グループの子達が仲良くしてくれるのですが「上履きの色が違う、体操服が違う、言葉が違う」と、ちょっとしたことで仲間外れにされるのは毎度のこと。

その後、気が合う仲良し友達を見つけられるのですが、そこに辿り着くには中心グループの洗礼を受けなければならないことが多々ありました。

時々、明らかにいじめだろう、と思うこともありましたが、騒ぐほどのことでもないような、単純に中心グループの賑やかな子達と私が合わないだけのような気もし、誰にも言うことはなく我慢していました。

母はそんな私を知ってか知らずか、細かいことは言わずただ、
「神様はちゃんと見てるから大丈夫」と。

しかし、小学校5年の夏に引っ越した先のクラスは、かなり苦戦。
最初はチヤホヤ、しばらくするとだんだん「〇〇が違う」探しから仲間外れが始まり、背が高いことや痩せていることなど身体的なこと、母の手作りが多かった私の服を変だ、と揶揄され、やがて中心グループの子から無視されることに。ならば、と、中心グループじゃない子と話そうとすると、どうやらそれも気にいらないらしく、私を仲間に入れないよう、話さないようクラスの女子に根回ししたのです。

じゃあ、どうしたらいいの?と、もやもやする日々。結局のところ、中心グループのうちの一人ボス的存在の子が、誰かをクラスの中で完全な孤立状態にしていないと気が済まないんだ、ということに気づいて以降、一人でいるのもまあいいか、と思うようになったのでした。

なぜなら、私は中学入学の時にはまた別の場所に引っ越すことが決まっていて、卒業までの時間さえやり過ごせば、もう彼女たちと会わなくて済むから。
中学になっても彼女達と顔を合わせなければならない誰かが犠牲になるのなら、休み時間の数分間くらい一人でいても構わない、と思ったのです。

6年生の終わり頃、状況がガラッと変わりました。

ボス的な子は、私が転校してくる前から誰かを変わるがわるターゲットにしていたようで、卒業を前に過去いじめられた子と、ボスの指示でいじめに加担していた子たちがクーデターを起こしたのです。他のクラスの子も混ざり、彼女はひどく惨めな思いをすることになりました。

卒業式の直前に周囲の子が彼女を許し、最後は丸く収まったのですが、少し可哀想なほどでした。

「神様は見ているから大丈夫」と言っていいのか分かりませんが、人を傷つけたり嫌な思いをさせていると、何倍にもなって返る、と実感した出来事でした。


卒業式の後に知ったことですが、彼女が一番私に対して言ってきた「服が変」と「まな板」。それはそのまま彼女自身のコンプレックスだったのです。

なるほど、いじめっ子は誰かをいじめることで自分の居場所を実感しているんだ。いじめの言葉は、自分が言われたくないことや羨ましく思うことを、自分より弱い人に向けて言う。そうやって、自分が言われないように虚勢を張るんだ。

このことに気づいてからいじめや意地悪をする人、パワハラをする人の心理がとても冷静に見えるようになり、怖くなくなりました。
中学入学を機に「言われて黙っているのは馬鹿らしいから、意見はちゃんと言おう」と思ったこともあり、中高時代は本当に可愛くない女の子だったと思います。


社会人になると様々な人と出会うもので、関係性によっては一方的に理不尽なことを言われることも多々。苛立ったり卑屈になっていた20代前半は自分が身体を壊し、過労とストレスで入院。

退院後、何かが吹っ切れ、相手の言動に囚われず自分のやるべきこと、信じた道を淡々と進んでいると、不思議なことが起こるようになりました。

大抵、個人的に何かをしてきた人は病気になったり、仕事が立ち行かなくなったり。数年前に「もしかして私騙された?」と弁護士を立ててみたものの相手の弁護士の力が強大で全く歯が立たず、「いい勉強だった」と諦めた人に至っては、別件でニュースになっていたり。

まさに、「神様はちゃんと見ている」です。

この言葉、ブーメランの法則とか、因果応報とも言われていますが、老子の教えにもあったそうです。

"天網恢恢 疎にして漏らさず"
てんもうかいかい そにしてもらさず

「老子」73章
天の張る網は、広くて一見目が粗いようであるが、悪人を網の目から漏らすことはない。悪事を行えば必ず捕らえられ、天罰をこうむるということ。

いつの時代にも言われている道理なのですね。


年々そのスピードが速く明らかになってきているように感じ、自分の日々の言動は大丈夫だろうか?と、時々考えます。

嘘やごまかし、人を欺く行為をしていてはビジネスは続かないし、人間関係も続かない。
例え周囲から何と言われようと、人に迷惑をかけず、誰かの何かの役に立っていて、自分も納得の行くことをしていれば、時間がかかっても必ず後につながる。そんな風に思います。

最近はなんだかよく分からない情報も多く、ただ「最後に正義は勝つ!」と信じたいだけのようにも思いますが、お守りの言葉を大切にします。

神様はちゃんと見ているから大丈夫。





*写真:三浦海岸の河津桜(2月23日撮影)


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