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読後感 #2「技法以前–べてるの家のつくりかた」

お元気ですか。

どてさんぽ です☺︎

当事者研究で有名な、べてるの家に関連した書籍の中で、読了したのは表題の1冊のみです。

帯の「私は何をしてこなかったか。」という文字に引き寄せられました。

福祉における支援とは、何かを「する」ことであると考えてきましたが、支援の対象であるその人にとって本当に必要な支援であったのか疑問が残ったままだったり、こちらは支援と言っているだけの自己満足で実は相手にとっては余計なことだったり、その人の生活の邪魔になっていたのではないか、そう思うようになった時に見つけた書籍でした。

この本は、主に統合失調症患者である当事者について、援助の実践が書かれていますが、間接的に高齢者福祉の領域にも適用できるヒントがいくつかあるという感想をもちましたので、紹介することにします。

支援者の役割

人は、自分の苦労を自分のものとすることによって、自分の人生の主役になります。

「自分の苦労を取り戻す」とは、「自分の苦労が自分のものとなる」という経験であり、それは自分の人生を取り戻すことにほかならない。自分を取り戻してはじめて、人とつながることが出来る。 (38頁)

(「自分の苦労」も、自分を構成する一部分であるなら、自分の一部が誰かのところに預けられた状態で、人とつながることはできない、という意味もあるのではないかと思います。)

「人とつながっている実感」を「だれかがそばにいる感覚」としてとらえると、

「だれかがそばにいる感覚」は、…限りなく「量的」なもの…。圧倒的な幻覚や妄想のエネルギーを反転させるためには、それを上回る具体性で実感できる人のつながりの「総量」を増やす必要がある。しかも大切なのは、できるだけ多様で「生活感」に満ちたパワフルなつながりの確保と蓄積である。(p103頁)

支援者の役割とは、自分の苦労を他者のものではなく、自分のものとして取り扱い、本人自身から出発して多様な他者と「つなが」り、自分の人生の主役になることを助けることです。

今後多様な人と出会うためのほんの「入口」であり、ワーカーは媒介者に過ぎない。(201頁)

ところが、支援者の立場から支援をしているつもりでいるにも関わらず、相手が自分の人生の主役になることを邪魔したり、遅らせたりしてしまうことがあると紹介されています。

本当に必要なつながりを発見する

本書の中では、支援者が、相談者から求めのある要望を表出されている訴えの通りに受け止め、ひたすらそれに応えていく様子が描かれています。

しかし、そのような支援者の行為は、相談者の苦しみを次の一歩に導くどころか、かえって相談者自身が、新たな苦しみを生み出すような方向へと追われてしまうのです。

「人と人とのつながり」を取り戻す行為が、かならずしもつながりを回復する形にはならない…つながりの取り戻しの欲求は”破壊”というきわめてわかりにくい形でも起きるからである。(187頁)
自分の生きづらさの根源を「さびしさ」や、「自分の居場所がない虚しさ」だったと説明し、そのつらさが蓄積するたびに迷惑行動などを起こして一時的な逃避を続けてきた。その迷惑行動こそ、人とつながる最終手段だった。「人とつながる」という生命線を確保するためには、周囲に𠮟責され、批判を浴びる。むしろそれ自体が、生き延びるための手段と化すのである。…”死にたい” 願望は ”生きたい” 願望の裏返しだということである。(188頁)

つながりたい、つながることができないから苦しい。この苦しさを解消するために、自分が手元に持っている方法(ここでは、迷惑行動)を取り出して使ってみる。というように、行動している本人は無我夢中で人とのつながりに手を伸ばしている、そんな状況が想像できます。

しかし、この願望を実現するためのエネルギーを正しい方向に誘導できなければ、本人もこの方法を用いる流れを止めることが出来ず、つながるための手段として、ふたたび同じ方法による行動が繰り返されることになります。

では、支援者はどのようなわきまえをもって相談者を支援するのか。

いくつか紹介されていましたが、ここでは一部のみをまとめます。

聞きすぎない

著者は、相談者の話を聞くことによって、相談者が本来取り扱うはずの「自分の苦労」が話を聞く支援者にそのまま「丸投げ」されてしまうことを指摘しています。

特に、一対一の会話によって、本人の苦労は支援者と本人の間に解決されないまま留まります。

聞き過ぎに陥るスタッフも、当事者に自己洞察を促し、つらい感情を吐き出させることで、現状の改善に役立つことを期待する。もちろんそれはまったくの無駄な作業ではない、しかし効果はあくまでも一時いっときなのである。砂漠のなかで出会ったオアシスのように、潤いは一時で、時間とともに「渇き」はふたたびやってくる(27頁)

自分の人生を取り戻すために、自分の苦労に向き合うことによって、相談者にとって本当に必要な「つながり」をつくるための支援のはずが…

自分の苦労を支援者が受け止める行動をとることによって、相談者の今感じている渇望を満たしても、また、その渇きをとめどなく生じさせるような「つながり」が実現してしまうのです。

そうなると、相談者は悩みを支援者に相談するという「つながり」を維持しようと、こんどはその材料となる新たな悩みを生み出すことになります。

聞き過ぎによって、自分の苦労に向き合うことのないままになり、自分の苦労に向き合う過程で得られる人とのつながりを持つ機会は相談者から奪われることになるのです。

「自分の苦労の主人公」になることが相談者の本当に求めている「つながり」を持つために必要なことであり、
支援者は、相談者の抱える悩みの受容と共感に徹するが故に聴き過ぎてしまう、これに注意しなければならない。

支援者は共に考える姿勢でそばにいることを相談者に伝えること。

著者はこのように勧めています。

では、どのように聴くか

著者は、支援者として相談者に対するとき、自分の苦労に向き合い、「つながり」を取り戻すための《開かれた聞き方》をすること、

聴き方には《閉じた聴き方》と《開かれた聞き方》がある…。《閉じた聴き方》は当事者とスタッフの両者の間で自己完結する聞き方だとするならば、《開かれた聴き方》は、新しい人とのつながりや出会いの可能性に開かれた聞き方ということができる。
…同じように聴かれていても、《閉じた聴き方》では、当事者自身につかの間の充足感が得られるだけで、さらなる不安や孤立感をもたらすことがわかる。(108頁)

つまり、上記でいう「新しい人とのつながりや出会いの可能性」に進んでいけるような《開かれた聴き方》をするということを勧めています。

(ここで取り上げた内容は、あくまでも私のとらえ方ですので、著者の意図とは異なる解釈をしている可能性もあります。詳細は本書をお読みになることをお勧めします☺︎)

高齢者福祉への適用

読後、率直に感じたこととして、

① 相談者の求める「つながり」が、本人が求めているものとは別のかたちで表出されることは、高齢者福祉の領域でも該当する部分があるのではないか

高齢者についても、物盗られ妄想、セクシャルハラスメント、暴力、そのほか介護サービスにおける不当な要求…等の行動が起こる背景に、利用者が、自身の持つ苦しみを自分の中で解決できないまま、とにかく他者とのつながりを求めて行動に移してしまった...という動機が含まれていると実感することがあります。

② 生活支援は、相手が自分の人生の主役であることを邪魔しないように配慮すること

 極端に過ぎるかもしれませんが、支援する相手である利用者の生活を整える意識なく、効率的なサービス提供を目的として、利用者の気持ちまで管理しようとしていないか、考えさせられます。

③②のように考えると、その場所で過ごす人が「つながり」を持つことを意図して環境を整えることも、支援に必要な要素ではないか

もう一度、つながりについて引用すると、

「だれかがそばにいる感覚」は、一対一でじっくりと対面する構造からだけでは生まれにくいと私は思っている。この感覚は、限りなく「量的」なものだからである。圧倒的な幻覚や妄想のエネルギーを反転させるためには、それを上回る具体性で実感できる人のつながりの「総量」を増やす必要がある。しかも大切なのは、できるだけ多様で「生活感」に満ちたパワフルなつながりの確保と蓄積である。(p103頁)

しかし、そのような「総量」は、本人を取り巻く環境として用意されなければならず、介護者がいて、利用者がいれば自然に生じるものではないと思っています。自然に生じるかのようであっても、それはなんらかのシステムの中で、仕掛けがあって可能になることではないかと思うのです。

たとえば、

べてるの家には、当事者のそばに、障害・病気を本人と一緒になって見つめる「仲間」がいます。

高齢者福祉において、特に介護施設に準じた支援環境では、利用者が「仲間」を持つ環境を整えることができない現状もあるのではないか…人が周囲にいくら居ても、本人と一緒になって障害・病気を見つめている人がいるとは限らないのではないか、と思っています。

じつのところ、本人と一緒になって、見つめる人を含めた環境を整えることよりも、本人の生活を効率よく管理する方が、実際の見返りを伴って評価される仕組みになっていないか。

まだまだ漠然としていますが…
「つながり」をつくる支援を高齢者福祉にも適用するには、もう少し仕掛けが必要ではないかと思っています。

読後感としては、以上になります。

あるべき介護関係とは?

を考えるヒントが豊富につまった本でした。

                          それでは、また👋

***
向谷地生良著 『技法以前—べてるの家のつくりかた』医学書院,2019


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