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20年ぶりのマラソン大会

小さい頃から運動は苦手で、大人数の前で恥を欠かなければならない運動会は1年に一度の憂鬱な日の1つであったことを今でも覚えている。
3度の飯よりという言葉があるが、私にとっては3度の飯ほど好きなものはなかった、そのためムクムクと大きく育っていたことも運動が苦手だった理由の一つであった。

中学に入学して初めて自分の容姿がとても醜いと気付かされ、人生初のダイエットに挑戦。半年で14キロの減量に成功し体が軽くなった事の影響もあり体育の授業が苦ではなくむしろ得意に変わっていた。
足は早い方ではなかったが長距離が好きで、校内のマラソン大会で好成績を残したことは今でもいい思い出だ。

高校を卒業後、私は夢のケーキ職人になるため専門学校に通い始める。もともと食べることが大好きだった為【勉強】という大義名分を掲げ技術と体重をモリモリと育てる事となった。

その後就職したケーキ屋に7年勤めたのち退職し、残された脂肪の塊となった身体に鞭打って、次は【結婚式】という大義名分の為に必死のダイエットを行った、食事制限・エアロバイク・ウォーキング・プール・腹筋を毎日のルーティンにし、3年の月日をかけて見事結婚式までに16キロのダイエットに成功することができたのであった。

そんな幸せな結婚式のあと数年で離婚してしまうのだが、自暴自棄な期間もあったもののなんとか標準体重をキープしていたが通勤以外の運動はほとんどしていなかった、なのに急に『走ってみようかな』と頭に浮かんだのである。
当時ハマっていたオンラインゲームにも飽きてきて毎日やることがなかった、新しい趣味が欲しかった、できればお金をかけずに出来るいい感じのがほしいなと思っていたところだった。今思えばなんで走るって選択だったのかわからないのだが、衝動的に走りたいと思ったんだから走ろうとジャージに着替えて外に飛び出した。

久しぶりのジョギング、中学の頃を思い出し『すっすっはっはっ』の呼吸でゆっくりと走り、15分ほどかけて2キロの道のりを走った。1月の冷たい空気の中汗をかきながら走る15分間はとても気持ちが良かったことを覚えている。そして何より自分が止まらずに2キロを走りきったことに驚いた。それから仕事から帰りご飯を食べたあと、ゆっくりと2~3キロを走るようになった。

1ヶ月ほど経った頃、こんなに走れるんだからなにか大会に出てみても楽しいんじゃないだろうかとネットで検索したところ、4月に街の小さなマラソン大会が行われるらしい。力試しに一度出てみたいと思いエントリー、3キロは問題なく走れるため5キロにチャレンジしてみることにした。
最後のマラソン大会から約20年ぶりのマラソン大会となる。

平日仕事終わりに5キロは厳しいので、お休みの日はできるだけ5キロ走るようにし、目標は1キロ6分で5キロ30分と決めた。

大会当日、コロナの影響で一斉スタートではなく間隔を開けて2人ずつスタートでゼッケンについているチップでタイムを測るというものだった。
私はいつものジャージとTシャツでの参加だったが、一緒にスタートする方の服装が本格的なレギンスにショートパンツで見た目で負けを確信した。

どんどん前の方からスタートし始め、いよいよ私達の番になる。
ピッという合図でもう一人の方が勢いよく飛び出して行った。まずい早すぎる、と焦った私はいつもの1.2倍位の速さで最初の2キロを駆け抜けてしまった。練習の時とは比べ物にならない横っ腹の痛さと苦しさに何度も歩こうと思ったのだが、応援に来てくれている友人にカッコ悪いところを見せたくない一心でなんとか走り続けていた。コースは2.5キロの河川敷を2往復するというものだった。ちょうど4月で桜が綺麗ではあったが、代わり映えのしない河川敷を2周もしなくてはならない。ゴロゴロしていたらあっという間に過ぎる30分が2時間にも3時間にも感じた。スタートでありゴールでもあるゲートが見えてきたところで、かっこいいところを見せたいと最後のダッシュをし、無事完走することができた。

『なんかひとつ屋根の下のあんちゃんみたいだったよ』
とゴールで待っていてくれた友人に言われ二人で笑った。

運営テントの方でタイムを教えてくれるとのことで少しだけ休憩したあと長い列に並んでいた、前の方では各部門の入賞者の表彰式も行われていた、もちろん何人もに抜かれていたため自分が入賞していないことは明らかだったのだが、いざ自分の番が来た時、係員のお姉さんが立派な賞状とメダルを渡してくれたのだ。
大会の概要をちゃんと読んでいなかったのだが、各種目では『年齢別の3位までメダルの贈呈』があるらしい、奇しくも私は5キロの部30~40代女性の2位だったらしい。表彰式は無いものの控えめの大きさだが銀に輝くメダルを渡され友人のところに戻って一緒に飛び跳ねて喜んだ。
タイムは一度も超えることができなかった5キロ30分の壁を楽々更新する5キロ27分という好タイムだった。
ちなみに私を焦らせた一緒にスタートした女性が、5キロの部女子のそして30〜40代の部女子の優勝者だった。

後日コロナで帰省できなかった実家に久しぶりに帰った際、私は祖父母に見せたいが為に持って帰ったメダルを祖父の首にかけてあげた。祖父は見たことのない優しい顔でメダルを眺めた後、子どもを褒めるかのようにお祝いの言葉をかけてくれ一緒に写真を撮ってくれた。
自分がメダルをとったことよりも、この嬉しそうな祖父の顔を見れたことが、本当に何よりも嬉しかったことを今でも忘れない。

始めることに遅すぎるなんてことは無い。
やってみようと思ったらその思いが消える前にまず動いてみるものだと改めて思った瞬間だった。

#挑戦してよかった

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