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身近な人の死の受け止め方 生きている時から始まるよ

とても親しかった人が死んでしまうと、心にぽっかりと穴が開いたようで、悲しくて辛いよね。

特に自分より歳が若い人だったりしたら、愕然としてしまうよ。

八犬伝と言う映画でも、滝沢馬琴が息子をなくしてしまうんだけれども、そこから創作のエネルギーもなくなりそうになるのがとても感動的に描かれていたしね。

それから、偉い人であっても、身近な人の死と言うのは、やっぱり辛いらしいね。

論語には、弟子の顔回が若くして、亡くなった時に、孔子があまりに悲しくて、礼儀を忘れて泣きじゃくったと書いてあるしね。

後で別の弟子から、先生、礼儀作法に反してますよと注意されたけれども、顔回が死んだので、泣かずにいられようかと言っていたしね。

宗教家であっても、子供の死と言うのはものすごくショックみたいだね。

アメリカで人気のある牧師さんでリックウォーレンと言う人がいるけれども、息子が拳銃自殺で死んでしまったんだよ。

その後は1 、2年は人の前に出て話もすることもできなかったみたいだね。

そこで考えるんだけれども、まずは「死は永遠の別れでは無い」と言う事は大事な考えだと思うよ。

やはり死後の世界があると思えば、あの世でまた再会できると考えることもできるしね。

それで最近見た中国の映画で「西湖畔に生きる」と言う映画があったけれども、仏教のお釈迦様の弟子である目蓮と地獄に落ちたそのお母さんの話が下敷きになっているんだよ。

オリジナルの仏教説話では、目蓮のお母さんが、あまりにがめついので、餓鬼地獄に落ちてしまっていたんだね。

それを霊能力で見た目蓮がお釈迦様に何とかして救ってあげたいとお願いするわけだけれども、お釈迦様はそこで供養と言うことを教えると言うことになっているんだね。

これがお盆の供養の始まりだと言われているよ。

そうしたことを考えると、お母さんが死んだことを悲しむのではなくて、お母さんが地獄に落ちて苦しんでいることを悲しんでいるんだね。

息子はお釈迦様の弟子なわけだから、しっかりと「善行を積んで地獄に落ちないように生きるべきだ」と言うことを母親に伝えきれなかったことが不幸なんだろうね。

そうしてみると、死なれたことが悲しいと言うこともあるけれども、本当は、もっと孝行しておけばよかったとか、大切にしてあげればよかったとか、生きている間しかできないことをもっとしっかりやってあげればよかったと言う、未練とか後悔が、悲しみの奥にあることかもしれないね。

確かに、生きている間しか、優しくすることはできないからね。

だとすれば、身近な人の死を受け止めると言う事は、その人が生きている時から、もう始めないといけないね。

もっと親切な言葉をかけてあげるとか、小さな物でもプレゼントしてあげるかとか、何かしら思いやりを形に表しておくことが毎日できているかどうか、そこから始めるのがいいのかもしれないよ。

生きていることとは、すでに別れの始まりだと言うのは、やはり大切にしないといけないものだね。

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