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小説 VIOLET

 ※Sceno Ichiro - VIOLET feat. 花隈千冬
https://youtu.be/7tUIFpWv56A?si=eOvKO-D9ECFIIUuz
この曲がすごく好きで、許可をもらって小説にしてみました。二次創作です。よかったら、曲と一緒に聞いて読んでみてください。


 私の過ごせる春は、残り百もない。
 小さい頃、春が言っていた。人間が生きられる時間は少ないのだと。今ではその声色も鮮明に思い出せないでいる。降り積もる雪が白さを増して、何もかも淡くかすませて消していくようで。
 若葉の青さも、風の温かさも、桜さえも色あせて白い花弁を記憶の中で舞い散らせ、私の記憶は白に埋め尽くされる。
 春の色も思い出せない。何もかもが幻影、淡く消され思い出せもしない。
 病室のガラスに息を吹きかけては、袖で拭く。透明で鮮明な景色は、寒さの前では命儚く、来そうで来ない春とともに、私を置き去りにして残酷に曇る。
 私は春を迎えられないと宣告された。
遺伝の病。百どころか、二十にも満たない。私はいまだに年端もいかない少女のままなのに。
腕は管に繋がれ、点滴のあざが点在する肌はうっ血して色もまだらだ。まるで枯れ枝のように頼りなく、筋肉のしなやかさを失っている。
 もうこれではピアノを弾くことはできないだろう。力を入れるたび、指はカクカクと震えまともに動かすことは、二度とないかもしれない。
 白く積もる雪原の外を眺めながら、命が尽きるのを待つ。ああ、あの時の春はこんな気持ちだったのかと、思い起こしてみる。
「すみれ」
 忘れたはずの声が聞こえた気がした。でも違う。春は、もうここにはいないのだから。
 命が灯のように明かりであるなら、私の命を明かりにして春を呼んでくれないだろうか。静かに流した涙は横たわって眠るとき、ぼんやりと思い起こさせる。大好きだった春の追憶を。

 初めてピアノに触ったのは、両親が交通事故で死に遠縁の親戚に引き取られたとき。ピアノが好きな義兄がいたのだ。名前は春。ガーデニングが好きな義母は、鮮やかな緑の映える庭から春とともに現れ、私にいろんな話をしてくれた。
 両親が事故で亡くなったこと。これからここの家の子になること。どこか現実味がなく、ぼんやりと夢のようで私はしばらく呆然自失としていた。
 けれど春はそんな私に気を使い、たくさんの絵本を買ってくれた。
 読み聞かせてくれた絵本は、見たことのないような海外の本で、様々な花が描かれた甘い香りが漂ってきそうな美しい本。他にも立体的に浮かび上がる不思議の国のアリス、音のなる絵本、面白いものはいくらでもあった。
 けれどそれよりも目を引いたのは、春が弾くグランドピアノだった。
 そのグランドピアノは度々、調律師を呼び、きれいに手入れされるほど大事にされていて、春は私が疲れて寝静まると、そのグランドピアノを優しく奏でだす。
 長く細い指が奏でるその旋律は、激情的でそれでいてなんて甘美なのか。
感情をむき出しに奏でるそのメロディーは、それでもきちんと曲の体裁を保っていて、そして何より心を乱され、振り乱されるように感情を打ち鳴らしてくるのだ。
 彼は弾き終わると、ひとしずく涙をこぼして、起きてきた私に向かって笑うのだ。
「まだ生きてるから泣いちゃうんだ」
 何か言わないといけない。そんな気がしたけど、私が彼の心を救うなんて大それたことできるはずがないと、口をつぐんでねだるのだ。
「また……何か弾いて」
 彼の弾くその曲は幼い私が、何かを感じるにはあまりに複雑不可解で理解しようがなかったのに、強く感じたことは「私もピアノを奏でてみたい」だった。こんな風に弾けたらって何度も思う。軽やかで美しい旋律を。私もこんなふうに奏でられるならどんなにいいだろう。
 曲が終わるたび余韻がすごく、頭の中で反芻してはうっとりと聞き惚れる。
「……すごい。なんて曲なの?」
 春は泣き虫で、やはり涙を流しながら困ったように微笑んで答える。
「孤独の中の神の祝福」
「変なタイトル」
私は顔をしかめて素直な感想を吐いた。それでも伝染した感情にあらがえず、私もぽたぽたと涙を流して、苦しくなって春に抱き着いた。
私の涙は赤らんだ頬を伝って春の膝に落ち続ける。
「ねぇ、すみれ。僕はね。死ぬんだって」
 そういった瞬間、春は困ったように笑った。
「死んだら骨は楽器になるかな」
その一言で春は音楽が好きなんだと思った。死んでも奏でる楽器になりたいと思うほどに、春は音楽が好きなんだと思った。
 春はその年の冬に亡くなった。桜を待たずに、逝ってしまった。
 なぜ彼が私にだけ自分の気持ちを伝え、私にだけ涙を見せたのか、答えは私も同じ病だから。
「生きてこそ黙せりが、死してこそ響かん」とはよく言ったものだ。春は死んでからまるで聖者のように語られた。彼は本当に弱く、儚い印象だったのに、まるで別の人のように知人たちは語った。病気に負けないで弱音を吐かない。
 あれほど死を怖がって、それでも希望にすがった弱弱しい人を、まるで心の強い人のように語るのが気味悪かった。けれど同時に、春のことを私しか知らないことがうれしかった。
 私の過ごせる春は、もう一つもないかもしれない。
 追憶の中で、ぼんやりと弾き続けるピアノの旋律だけが私の残り時間を表すように、反芻して彼を思い起こさせるのだ。

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